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November 09, 2009

Ballet:Lesson Notes #99

朝から、父の検査で病院へ。
終わった時間によっては、レッスンに行くつもりで
一応レッスンバッグもトランクに詰め込む。

予約してあったとはいえ、待ち時間がかなり長い。
日ごろ、自分自身が殆どこうした大きな医療機関のお世話になっていないので
そう感じるのかもしれないが、
何のための予約なんだろうと、正直思った^^;

今日はご紹介頂いた先生の診断と再度血液検査で
ほぼ半日が過ぎ、今週中にあと2回胃カメラとCT
来週またもう一度と3回の検査通院となった。
担当のお医者様は、それでもよく話を聴いてくださる方ではあったが
車ならともかく、体調が優れず
自宅の階段を昇るのもしんどい状態の高齢者には
短期間に幾度も検査のために病院に足を運ぶのも容易ではない。
今日と、あと3回のうち2回は私が車を出せるが
1回はどうしても仕事があるのでタクシーを使うようになるかと思う。
先日の検査結果の数値的には
入院治療になるかならないかの瀬戸際と言われていたので、
それでも即入院にならなかったのは良いことだったのかも。

何とか午後からのレッスンには間に合いそうだったので
その後スタジオへ向かう。
その途中、お気に入りの欅並木の道の彩りがとても綺麗だったので
路肩に車を寄せて、ちょっとだけ木立のざわめく音に耳を済ませたり
涼やかな空気に触れることを楽しんだ。
その僅かな時間が程よく雑念を洗い流して、
バレエに向き合う時間への転換になった。

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たまたま教室の休みが重なったりで、
昼間のクラスは2週間ぶり、ポアントもほぼ2週間ぶり。
教室について、着替えようとバッグを開けて…
あれ?…タイツとシューズ類とタオルはあるけど
肝心なレオタードが…無いっ(滝汗)
朝、バタバタしている時に、後から入れようと思って
それを忘れたまま出てきてしまったのだった;;;
教室の貸し出し用のものをお借りしたので
それでも、レッスンは出来たが
かなり久しぶりのキャミレオタ1枚…お見苦しくてスミマセン
寒い日じゃなくて良かった^^;

先日の小川先生のセッションのお陰だろうか
アン・オーのポジションの時の体幹の収まりが良い。
アームスの動きに肋骨が引っ張られる感じが無くなっているから
どのポジションでも以前より容易に身体がいい塩梅にまとまる感じ。
それから、やはりCoolBalletで少し集中してアームスをみて頂いているので
特にア・ラ・スゴンドからドゥミスゴンドを経てアン・バに戻る軌道上の
迷いや、もたつきが無くなっているようにも感じ、
また、バーを持つ側の腕も同時に働いている感覚を
保っていることがし易くなって
それによって体幹の広がりが生じてくるのがわかった。
まだまだ要修行だが(笑)
アームスの見直しは、案外全体の調和やバランスに
大きく影響を与えてくれるかもしれないなと感じた。

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October 26, 2009

Ballet:Lesson Notes #95

週末から急に冷え込んできて
久しぶりにレッグウォーマーが登場。
前回のシン・インテグレーションのセッションから3週間近くたって
身体の方も、だいぶそのバランスに馴染んできたようだ。
全体的にはとても扱いやすい感じだ。
立ち仕事の負担の蓄積で
大内転筋の恥骨と坐骨結節寄りに感じていたもたつき感は
先日のセッションでリリースして戴いたり
その後、仕事中はやはりCW-Xで負担の軽減を図っていることもあって
すっかり収まっているのだが
膝に近い側はまだその影響が残っているようで
膝に捻れがある状態で体重がかかるようなエクササイズなど
いくつかのエクササイズは、今の状態の身体には負担になるようなので
レッスン前に先生にお話させて頂いて
当面、負担になりそうなものは、やめておいたり
あるいは膝に負担がかからないような形に自分で置き換えてやったり
4番と5番のグランプリエはドゥミ・プリエにさせて戴く事にした。
それだけを避けておけば、あとは何ら問題無く動けるようだ。

少し、バランスが馴染んできたところで
今日はだいぶお直しをして戴いた。
フォンデュなどで片足のプリエになる時の
体幹や尾骨の感覚も
「あ、こういう感じかぁ」と割と素直に身体に入っていく感じだった。

何となく、今は刷り込みやすい時期であるように思えるので
なるべく、動きに追われないシンプルめなレッスンをしたいなと思う。
お休みの振り替えのレッスン、
一度、入門のクラスにお邪魔させて頂こうかな。

【自分の時間、他人の時間】

友人と話をしていて
以前読んだ「千円札は拾うな」という本に載っていた
こんな一節を、ふと思い出した。

自分の時間に価値があると思っている人は、
時間を得るための出費は惜しまないし、
他人の時間も貴重なものとして尊重する。

他人の時間を奪う人というのは、相談されるよりするほうが多かったり、
自分の都合で相手を振回したり、
他人に助けてもらうことで人生の収支をまかなっているような人のことである。

例えば、セッションやレッスンの予約を入れるという行為
そういう時に、相手、あるいは、その時間や機会を得たいかもしれない誰か
「他人の時間」に配慮できるような振る舞いの中に
「美」のレッスンの第一歩はあるのではないだろうか。
「キャンセル料が発生する前までに調整すれば良いから、とりあえず押さえておこう。」
というところから始まった振る舞いの延長線上に
どんな「美」も育まれないように思う。
そういうところから、優美な振る舞いを心がけたいものだ…と自戒をこめて^^;

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October 15, 2009

Ballet:Lesson Notes #94

まとめモードで(笑)

【レッスン】
先日の小川先生のセッション以降では2回目のレッスン。
前回よりバランスが馴染んできた感じがあったが
先生もそう感じておられたようで
「仕事の後じゃないみたい」と仰っていらした。
実際には、前回のレッスンの時も
だいぶスルッとして見えると仰ってはいらしたのだが
その状態が自分の中で馴染むのに
やはり1週間程度必要だったのかもしれない。

月曜は休日で、先日の台風の振り替えレッスンもあったのだけれど
私はいろいろ家のこともあったり
また次の週末に舞台を観に行ったりもするので
その日は出かけなかったのだが
その代わりにゆっくり時間をかけて
ドゥミ・プリエとルルヴェを繰り返してチューニングもしたので
それも良かったのかなと思う。

【ContemporaryDance】
今週は久々に、コンテのレッスンにも行った。
今回は結構激しくて速い動きで
オフバランスで回ったり
アントルシャ・サンクで跳んだかと思えば
フロアを転がったり?
両手をついたところから
倒立する時みたいに片足を天井の方に
バットマンするように蹴り上げて
もう一方の足でインパッセするような
うーん、例えて言うなら
瞬間的にしゃちほこポーズとでもいうか(笑)
アップダウンがはっきりしていたり
頭が足より低くなるような動きがめまぐるしく混じるので
バレエのレッスンには無いバランスで動くのは難しかったけれど、
少し慣れてきて、アームスの助けをうまく使いながら
バランスを保つコツが掴めてくると
いろいろな軸を体感できるようで楽しかった。

バレエのクラスの、最初のエクササイズの時間に
たまにパラレルの4番で立位体前屈をして
前になった方の足首を反対側の手で掴み
もう一方の手は天井の方に上げながら
上半身を可能な限り捻っていったところでバランスを保ち
更に重心を前の足のつま先のほう⇔後ろの足の踵の方と
移動させるような感じで
どういう姿勢、あるいは頭や手足の位置関係でも
自分の軸を失わないで保つようなエクササイズをすることがあって
今回の振りの中では
その訓練が役立っているなと実感した。

翌日は、やはり体幹や腕が若干筋肉痛(爆)

【薔薇】
今週もイングリッシュ・アイズが咲いている。
気候のせいなのか、花びらのふちが少し紅がさしているような。
週末にかけてはマルシェルブが開花しそう。
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October 05, 2009

Ballet:Lesson Notes #93

【想い出】

例えるなら、
ポケットにしまい込んだまま失くしてしまった大切なピアスの片割れを
長い長い時を経て、見つけ
それでも幾分古びて、今の自分にはもうそぐわないその片割れを
切なさとも、懐かしさとも、哀しさともつかないような想いで眺めながら
それを引き出しにしまい込むかのような出来事があった。

失ったものを数えるより
過ぎていった時間を振り返るより
めぐり合った幸いを抱きしめて生きたい
そう思う心は変わらない。

けれど、それを慈しんで過ごした日々が
今一たびだけ鮮やかに再生されたような出来事は
無くしたわだかまりを、ひっそりと欠片として抱え込んだまま
鍵をかけて封印していた心を、
その儚さ故に静かに揺さぶり、
振り続ける雨の中に解き放った。

【レッスン】

長い長い時間、どこかで手放せなかったものが
この秋の空に消えてしまったような虚脱感を抱えた心には
いつもと変わらぬ時間や、人との関わりがそこにあることが
何よりのグラウディングのように思える。

無心に身体に向き合うひと時は
どんな瞑想よりも、今ここの自分に、世界に
確かな手触りを与え
静寂を運んできてくれる。
バレエがあることで、これまでどれだけ救われてきただろうと
ふと思いながらプリエをする。
そんな心に寄り添うように
身体もまた、いらないものがひとつ抜け落ちたような
通りの良さで応えてくれるように感じられた。

「スピリット」とは、あなたであり、あなたになるものである。何度も何度も、今、ここで、いつも、すでに。
ケン・ウィルバー 『ワン・テイスト』

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October 03, 2009

 Ballet:Lesson Notes #92

【読書】
週末、一通り読んだ「これがボディワークだ―進化するロルフィング
今週は通勤のお供にもしながら、精読させて頂いた。

身体教育(somatic education)の章は
特に、このところずっと自分が抱えているテーマのようなものと
通ずる面が多く、付箋と赤ラインだらけになってしまった(笑)

ケン・ウィルバーの著書の数々やら
ナムカイ・ノルブの「ゾクチェンの教え」やら
このところずっと多読傾向できたけれど
「生まれては消えていく絶えざる思考の流れとしての心(私)を眺めつつ
でも、それをジャッジしたり、翻弄されたりせず
透明な観察状態の中で初めて生じる気付きや受容
それによって、内側から変わり、動き始める何か」
それに響きあうものを読み取ろうとしていたのかもしれない。

そして、漠然と広がりすぎてしまった関心と
それによって散らかった思考を
この本を読むことを通じて、今一度整理し
微かに捉え始めた、その何かに
体験のレベルで、どう取り組んでいこうかというところに
シフト・チェンジさせて頂いたようにも思う。

次回、「Kinesphere」 がテーマのセッションが
更に楽しみになってきた。

【CoolBallet】
前日、仕事中からちょっと喉が痛いなと感じたり
おまけに調べ物があって、つい夜更かししてしまったので
少し気をつけないといけないな…と思っていた。

その旨お話して、まずホメオパシーのレメディを頂いてからリラクゼーション。
やはり、この日は強い浄化力のあるフランキンセンスのお香に
自分自身がいつも以上に響きあっていくのが感じられた。
いつも、受身で「気」の心地よさを味わうばかりだったが
この時は自分の中心からも
その「気」の響きに調和していきたくなる衝動のようなものがあり
眉間がずっと疼き続けているような感覚が印象的だった。
秋雨の降り注ぐ、アンニュイな午後の光に寄り添うように
生じてくる動きも、フロアから余り離れず
膝や脚を休ませながらも関節を大きく動かすようなものが多かった。
後に、長谷川先生が
「坐ったままアダジオを踊っているような」と表現されていたが
確かにそんな感じだったと思う。
一面真っ白な世界の中で
煌く純白の細かい砂と戯れているようなイメージの浮かぶ中
永遠にそこに留まり続けていたくなるような
心地よいひと時を通じて
喉の違和感も、耳の下のちょっとしたコリコリもすっかり消え
立ち仕事で蓄積した、足腰の負担も
全身の関節の詰まりも、全てリセットされたような
ニュートラル感が広がっていった。

バーレッスンは、この日は両手バー。
そして、若干のセンターでのエクササイズ。
プリエやタンジュ、カンブレ、ロン・ドゥ・ジャンブ、ポール・ド・ブラの
全ての瞬間を味わい、
この10月の柔らかな雨のように
丁寧に自分の身体にしみこませていく様な時間だった。

【レッスン】
その後、少し時間を置いていつものクラスレッスンへ。
神経はまったり緩んでいるけれど
身体の中心は目覚めているような
リラックスと覚醒が程よく同居したような状態で
自分の身体の状態がとてもよく感じ取れるようだった。

こういう響きの良いとき
言い換えれば、
身体は覚醒していても
意識がまったりと、受容の状態にあるような時だは
先生の仰ることを自分の感覚の言語と
繋ぎ合わせていく過程がとてもスムーズになる。
面白いもので、先生がある部位を「使う」と表現されることが
私の中では違う部位を「解放」することで
よりスムーズに体現されていくような事が結構あり
それが体現されて初めて
先生が「使う」と仰っていらしたことの意味というか、感覚を
違う角度や、言葉や、文節で捉えなおして
身体がそれを理解することがある。

来年の舞台の日程も決まり
また、次の機会に向けて少しずつ色々な事が動き始めている。

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September 28, 2009

Ballet:Lesson Notes #91

来週、小川先生のシン・インテグレーションのセッションを
受けさせて頂く予定なので
このところは、ちょっと意識的に
自分の感覚や生じる動きをモニターしている。

ちょっとしたことだが「好ましくない反射」のようなものが起きるのは
どういう時で、どのように出て、それは何故か
ということを、自己分析するような感じで。
もともと、この分析癖がある意味では調和を阻んでもいるのだろうが
面白いもので、それを「修正しよう」とせずに
ただ、観照しているように捉えていると
それが生じ始めても、気付いたことで
割とすぐに身体が勝手に修正していくような印象がある。

意識が邪魔をするから、なるべく意識を手放すことを
ずっと試みてきたわけだけれど
自分をある価値観でもって変えようとして持つ意識では
ある種の抵抗や、葛藤が生じるようなものが
ただ、注意を向けることに留まるような意識だと
そういう、癖になっていて、割とすぐに修正可能でありつつも生じやすい反応のようなものは
余り反発せずにスッと消えていくもののようでもあり
面白いなと思った。

タイミング的には、動き始めようとする瞬間には
肩甲骨間を縮め、若干肘を引寄せたくなるような衝動が
もう、微かだけれどすでに生じている。
特に苦手意識のある動きや姿勢をとろうとするとき。
たいてい、その出始めの瞬間に、一瞬視線が落ちる。
多分、何かを確かめるべく
自分の内側の感覚にスッと入り込んでしまうのかもしれないが
そうなることで、それまで空間との繋がりの中で
感じていたスペース感のようなものも
キュッと内側に縮まってしまう。

何故なのかなと考えると
そうして反射的に縮めようとしている部位というのは
多分、それは長い年月の間
腰を境に上下に分断されていたような
繋がりのない身体で過ごしていた私が
上半身を支える拠りどころにしていたところで
常に働いていた、優位に生じやすい
回路みたいなものなのかもしれないなと思った。

無意識に生じていることを
取り除こうとするのではなく、
とりあえず、そのプロセスの始まりに
なるべく光をあてていくことと
その部位を操作しようとせず
視線というか視界にちょっと注意を向けてみることとか
(表情筋のちょっとした変化でも、案外響くかもという気がする)
あとは、その反応の生じ始めやすい動作の
実際に動き出す直前までの部分だけを
ちょっと注意深くトレースしてみるのもいいかもしれない…
なんてことを、感じたレッスンだった。

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September 23, 2009

Ballet:Lesson Notes #89

2日間ほどは、印刷物を作る仕事があったので
PC作業が続いたり合間に家事や
ケン・ウィルバーの本を読んだりで過ぎたけれど、昨日はレッスンがあった。

少し早めに着いたし、次女も一緒だったので
ハムストリングスだけ軽く解してもらった。
先日もちょっとだけやってもらった
付着部に近いところを押さえながら
動きを加えていくリリース法は
束になってくっついてしまいがちな部分を
効率よく解してくれるようで、
それと、うつ伏せで片方の膝を90度曲げて
仙腸関節に腕で圧を加えながら股関節内旋の動きを加えたり
あるいは、大転子の際に指を入れるように圧を加えて
同様の動きを加える方法も
アンドゥオールに関係する骨盤まわりの筋群を
とてもいい感じに整えてくれるように感じた。

さすがに仙腸関節に自分の腕を当てて圧を加えるのは無理だけど
拳に置き換えたりすれば、ある程度は
同様の状況を作れるかな…
大転子の方も同様に…
なんて、また、ついセルフバージョンをあれこれ考えてしまう(笑)

今日は、自分の中にスペースがあると感じられる時の
身体の状態を、少しモニターしてみた。
やはり腹斜筋の働くバランスかなと感じた。
それは、使いましょ…と思って
キュッと収縮させているような感覚ではなく
自分が捉えている周りの360度の空間から繋がる
幅の広い、収縮性もあるようなリボンが
たすきがけのように両脇をサポートしてくれているような感じで
その空間の彼方からの支えの中で
くつろいでいるような居心地とでもいうのだろうか。
うまく表現できないけれど
自分の内側の感覚としてだけでなく
空間との繋がりの中で生じてくる安堵感のようなものは
呼吸を自由にし、肩甲骨から上を開放し
腰から下の自由度を広げるようなスペースを
自然と生じさせているようにも思う。

レッスン後には車で30分ほどのところにあるホールへ
知人のゲスト出演する舞台を観に行って
久しぶりに質の良い動きの美しさを堪能し
バレエ三昧の一日だった。

三昧から脱線して…
もともと三昧とは
「仏教における禅、ヒンドゥー教における瞑想において、
精神集中が深まりきった状態のこと。」(Wikipedia)だそうだが
先日のチベット展のにもちなみ、
また、ケン・ウィルバーの著作とも響きあう面が多いので
ゾクチェンの教え―チベットが伝承した覚醒の道
ナムカイ・ノルブ著 地湧社
から、印象に残っている言葉を。

<光明>というのは、最初のその知覚が、そのまま生き生きと新鮮かつ直接あらわれている状態を指している。判断や、意識作用はまだはたらきはじめていない。そこには、すべての生きものにもともとそなわっている根源の境地が、自然に顕現している。同じことは思考についてもいえる。思考のあとを追いまわしたり、意識の判断作用の中に取りこまれたりしなければ、思考もまたわたしたちの自然な光明の一部なのである。
ゾクチェンの修行者は、山の頂上で瞑想するために、社会を放棄して隠棲する必要などない。隠棲してしまうのは、とくに現代社会においては困難だ。食べ、ふつうに生活していくために働く必要があるからだ。三昧をいかに日常生活と一つのものにしていくか悟ることができれば、日常生活を続けながら、隠棲しているのとまったく同じ進歩をとげることができる。  ゾクチェンの修行は、表れてくる顕現と自分自身を一つにしていくことだ。顕現は、五感による知覚をすべて含んでいる。楽しい音楽を聞いていようが、あるいは工場のような、耳を聾さんばかりのひどい騒音のある場所にいようが、同じことだ。なぜなら、どちらもすべて顕現の一部に他ならないからだ。すばらしいバラの匂いをかごうが、トイレのすざまじい臭いをかごうが、違いはない。どんな場所にいたとしても、そのすべては顕現の一部である。現象してくるものすべては、みずからの原初の境地のエネルギーのあらわれだ。三昧の中では、そのことが直接にわかる。捨てるべきものもなければ、得るべきものもない。リラックスした覚醒の境地にとどまり、どんな知覚が生じてきても、それを統合することが、ゾクチェンの修行の心髄だ。



多様な現象の本性は不二だ。
ひとつひとつの現象も、心の作り出す限界の彼方にある。

あるがままのものを定義する概念などありはしない。
にもかかわらず、顕現は現れ続ける。すべてよし。

一切はすでに成就しているのだから、努力の病を捨て去り、
あるがままで完全な境地の中ににとどまること、それが三昧だ。

(覚醒の境地のカッコー、六行の金剛の詩)


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September 16, 2009

Ballet:Lesson Notes #88

残業でまた余り下準備を済ます時間が無い時間帯に
到着になってしまったが
幸い、この日は次女も一緒だったので
ハムストリングスだけを短時間で解してもらった。
あ、ずいぶん効率よくほぐれる感じ…と思って、ふと
そういえば、その前日に彼女は講座で
その部位のリリース法を学んできたのだったと思い出した。
お陰で、余り一日の負担を持ち込まずにレッスンに臨めた。

前回のレッスンの気付きを
その後、自分でもいろいろ考えていて
何故、そのような反応が起きるのか
まず、反応を起こす自分を引き受けるところから
つまり、意識的にちょっと大げさなくらいに
癖を再現することを
家で何度か試してみた。
もちろん大きく跳んだりはできないので
パの繋ぎの部分だけ。
そこから得られた印象は
今の身体を感じ取る以上に
腕でアクセントをつけなければ
次に十分踏み込めるポジションに
自分の体を運べない…という
どこか深く根ざしたプロセスの記憶が
それを元に、次の動きを予測している瞬間なんだなと感じた。

言葉にしてしまえば、当たり前のことのようなのだけれど
意識を向ければ比較的容易に改善される類の癖も
ただ、それを「やめよう」「切り捨てよう」とする前に
無意識に予測している自分が
何をどう感じて、必要と判断しそのようにしているのか
ということを一度受け入れてみると
それは勝手に惹き起される、降って沸いたようなものでなく
自分の中の他人でもなく(笑)
今、意識できる自分の中に
スーッと溶け込んでいくような感覚になった。

癖を手放していくというより
むしろ、それが惹き起されるまでのプロセスの
発端になるものを受容していくということが
結果的には、今必要の無いものを
手放していくということに繋がるのかもしれないと思えた。

そんな、包括する「私」が
ほんの少しだけ、内側へ奥へと広がったような印象で迎えたレッスンは
何となく自分という感覚の居心地や手触りが違うような気がした。

そして、翌日はコンテのレッスン。
基本のところでは一緒でも
いろいろ違う動きやパターンの違う踊りの中に
自分を置いてみるのは
上で言うような「予測」がない分
今の身体をそのまま感じやすい面もあるのかもしれないなと感じた。
動くことも、振りを覚えることも
どこか「委ねた感」の中で踊りの中に入っていくのは
やはり楽しいひと時だし
委ねていながら、バレエで重ねてきたことが
知らず知らずのうちに、支え、ガイドしてくれるような感覚を
踊りの中のちょっとした瞬間に感じ取ることができるのも
ある意味では、意識していない自分と
仲良くなっていくひと時でもあるのかもしれない。

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September 14, 2009

Ballet:Lesson Notes #87

【CD】

フランスに留学中の友人からメールを頂いて
もし入手できたらとお願いしてあった
Laurent ChoukrounのCDが
3枚とも購入できた旨連絡があった♪感謝
来年、彼女が一時帰国なさる時までお預けだけど
それもまた、待つ楽しみだったりする。

【薔薇】
今朝になって、ジャンヌダルクとアンナ・パヴロバが咲いた。
パヴロバはどんどん成長してしまって
既に私の身長と大差ないくらいに^^;
今、咲いている花たちが一通り咲き終えたら
少し切り戻しをしなくちゃな…と思う。(窓辺に置けなくなるので^^;)
同時にいくつか蕾が膨らんだりもしているので
本当にその香りはさらに豊かで
風と共に漂ってくる芳香に幸せな気分になる。
そして、ジャンヌダルクの元気なイエローも
気持ちをパッと明るくしてくれて
朝から良いエネルギーを贈って貰った気分。

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【レッスン】
先週金曜は治療の後だったので
アライメントは整ったものの
脊柱の周りの組織が馴染んでいないような
何となく今ひとつといったコンディションだったが
今日は、その馴染みの悪さもすっかり落ち着いて
いい感じで身体が目覚めていく感じだった。

センターで、アントラッセの着地の後
すぐグラン・パドゥシャに続く
パとパの繋ぎの部分で
瞬間、ちょっと肘を引寄せるような癖を指摘して頂いて
そんなところにも、「昔の使い勝手の名残」があるものだなと
改めて気付かされる。
それは、少し意識が向かえば補正できる質のものなので
数回意識的に繰り返しながら
その時の腕や体幹、肩関節の感覚を刷り込む。
自分的には肩関節のスペースを広げて
アームスを少し前方に引っ張ってもらっているようなイメージだと
その感覚が再現しやすい感じで
実際、着地のアラベスクから次に踏み込む足に乗っていきやすく
その後のグラン・パドゥシャもより楽に感じられた。
ちょっとしたことなのだけれど
気付かぬうちに動きにくくしていることというのが
結構あるものだ。

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September 09, 2009

Ballet:Lesson Notes #86

【レッスン】

仕事が結構長引いて、
着替えて何とか開始に間に合うギリギリの時間になってスタジオについたが
電車の中で立っている時でさえ、思うようなアライメントに立てない感じで
脚はかなり張っているし、
このまま最初のエクササイズに突入して
早い段階でストレッチ要素の大きい動きに
耐えられる状態じゃないなと判断したので
先生に申し出て、その時間は自分で調整させて戴く事にした。

お腹の周りを時計回りに
12箇所ほど軽く押さえながら呼吸を深く入れて
まずはお腹を緩め、神経をリラックスさせて
それに、必要に応じて脚の動きや
腰や体幹の動きも加えながら。
それから、自分の手足はもちろん
フランクリンボールと自重を駆使して
脚やDeep6、背中や肩甲骨間のリリース
あとは、腸骨稜に沿って脇から手を差し込みながら
体幹の動きも加えつつの腰や脇のラインのセルフリリース。
講座やボディワーク入門の本で学んだ方法もあれば
自分であれこれ工夫した自己流も多々(笑)
こんなのを小川先生がご覧になったら
どう思われるだろうと時々考えることもあるが^^;
同じところを解すにも、寝転がるスペースがある場合、無い場合
ボールやポールなどの小道具がある場合、無い場合と
様々な自分なりのバリエーションがあったりする(爆)
でも、その自己流を支えているのは
やはり重ねたセッションの体験の中での
感覚の記憶というガイドラインでもあると思う。

やっと普段のしなやかさが戻り
お腹の動きが良くなったと感じられ始めてから
少し立位体前屈の状態で重心を移動させたり
その状態でルルヴェとアテールを繰り返したりしながら
お腹の動きを確認しつつ、背面側のストレッチをしたりして
一日の立ち仕事で溜まった負担を解消。
バーレッスンが始まるところから、合流させて戴いた。

同じようにメニューをこなせれば良いのだが
やはり、仕事の後のレッスンだけは
私の場合は、その日の身体に必要なことを
自分で組み立てた方が身体に負担もかからず
仕事の後であることを感じない身体の状態に
もっていくことができるようだ。

勝手を通させて頂くことに恐縮もしつつ
でも、仕事環境や年齢も含め^^;
サスティナブルなバランスを維持していかなければ
続けてもいかれないだろうし、
それを受け入れて下さる先生には
やはり感謝。

センターの最後の方で
かなり久々にイタリアン・フェッテが出てきた。

【薔薇】

今日はまた、エレーヌが咲いた。
昨夜は仕事+レッスンで疲れて、
かなり朝も早かったから寝不足だったはずなのに
何故か朝までずっと浅い眠りが続いて
覚醒と睡眠の狭間を彷徨いながら
迎えたような朝だった。

夢を見たという訳でもないのだが
その意識が流離っているような間中
不安なわけでもなく、悲しいわけでもなく
でも、何かとても懐かしいものに触れ
抱擁し、あるいはされたような
でも、どこか切なさを伴う甘美さのような印象として
それは静かに一晩中響き続け
深いところから沸き起こる何かの余韻を
はっきり感じながら目覚めた。

自分でも、いったいあれは何だったのだろうと首を傾げながらも
これまで感じたことの無いような、その心境のようなものを
言葉では言い表せないが
その言葉にならないものをそのまま
エレーヌが姿で表してくれているように感じられてならなかった。

そして、それは何かとても自分が大切にしなければいけない
彼方の記憶のようでもあり
今日はその余韻の中にいるために
出かける予定だったレッスンも休んで
静かに一日を過ごした。


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