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February 07, 2011

Ballet:Lesson Notes #176

またしても2週間ぶりのクラスレッスン
今年に入って数えるほどしか
スタジオに顔を出していない気がする(汗)
それでも、麗らかな光の中で
窓を開け放ち、スタジオの掃除から始まる静かなひと時は
気持ちがピンとして好きだ。
 
レッスンの始まるまでの時間、
助教のMちゃんに
「YAKOさん、また薄くなっちゃいました?^^;」と言われて
確かにレオタード姿で鏡を見てみると
全体的にひと回り、ふた回りほど薄くなってる(笑)
なるべく食べようとは努力したのだけれど
高熱と咳で寝ている時間が長くて
まともに食べたのは夜だけという日も少なくはなかったから致し方ない。
うーん、発表会の頃より細いかな^^;
レッスンが減るほどに細くなるっていうのも何だが;;;
 
でも、レッスンで身体を目覚めさせていくひと時は
とても気持ちよかった。
自分の中のエネルギーが循環していく感じが
今日はとてもハッキリと感じられて
特に咳で詰まった胸郭はひと呼吸、ひとアームス
ひとカンブレのたびに
本来のスペースを取り戻していくような感じ。
休みのお陰で、身体を使う回路もリセットされているから
動きも割りと身体の響きに素直に生じてくる。
何故か、余り身体の硬さも無く
むしろよく動いてくれる感じもある。
高熱と共に、またひとつ一掃されたものもあるのかもしれない。
 
ポアントはやはり明らかに長さが半サイズ小さい。
普段のレッスン程度なら、それでも痛いほどではないが
今、ゲイナーにちょっと我侭を言って
踵と土踏まず周りが小さめの靴を作ってもらっているので
今月中か来月上旬には届く予定なので
それが届くのが楽しみ。
 
バーレッスンやポアントでのアダジオ
エシャッペやらアッサンブレのアンシェヌマン辺りまでは
余り後遺症^^;を感じなかったが
ブリゼ・ボレとかグラン・ワルツはやはり呼吸がしんどかった。
呼吸はしんどいのだけど
でも、ジュテ・アントラッセの後の脚が
今までより勝手に高く上がっているような感じもあり
何だか身体の使い勝手が2週間前とまた違う。
何となく自由度が増した身体という印象だった。

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ここ暫く、また少し隙間ができて
その曖昧さ、混沌の中で
知らず知らずのうちに整理されたものもあるのかもしれないし
ディティールが抽象的でも
全体が見えてきた気がする。
自分が信じるものに
凭れるのでも、寄り掛かるのでもなく
真に足並みを揃えて進んでいくために
春から学び始めようと思い始めているものがある。
どこで学ぶかは、まだ決めていないが
でも、ここと思うところはある。
それは、この隙間の中で
心が動き、求めたもの。
心が希求するものに後先考えずに自分自身を委ねてみる
そんな選択も、たまには有り
後のことは何とかなる…
ならなかったら、その時考えればいい
何だか今、心からそんな気分。
 
見上げた空には
満ちていく月のシャープな輪郭が
冴え冴えと夜空に輝いていた。

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January 24, 2011

Ballet:Lesson Notes #175

【レッスン】
 
自分自身への素直さが増してくるほどに
身体や動きは、それこそ計らいもないうちに
新しい秩序の中での調和を選び取り始めているような
そんな感触を覚える。
私という意識は
とにかく、その邪魔をしないように
ただ、生じてくる動きを後から確認しているみたい。
 
例えば、「股関節を緩めて」という言葉に触れたときも
意識が股関節に向かうことはなく
むしろ自分の中で何か動きを感じるのは
何故か肩関節の解放であったり
顎関節の微かな緩みであったり
体幹をホールドするバランスの変化だったり
意識は直接指示された部位をターゲットにする訳ではないのに
結果的には股関節が解放されていることに
事後的に気付く…というような流れで
自分の中では「どう使おう」というような意識が生じないままに
でも、身体は求められたことを
自身に適用するための翻訳を自動的に行っている
そんな感じが面白い。
 
ポアントは今年に入ってからゲイナーだが
細幅でもバンプ深めの、踵はレギュラーというもの。
たまたま長さの合う細幅が店頭にそれしか在庫が無かったのだが
もう少しバンプが浅めのSleekタイプを選べば
踵もSleekタイプが選べるようだ。
バンプは今の深さでも、立ち切るのに支障は無いけれど
もっと甲が出ていけそうな感じもあり
それには確かに、丁度履き口の引き紐を通す部分が
第2、第3の中足骨に当たって痛いようではあるので
浅めのものを試してみる価値はあるかもしれない。
それと、多分足の長さ自体が変わっている。
普段の靴のジャスト・サイズが23センチだったのが
23.5の方が合うようになってきているので
踵がSleekなら間違いなく半サイズ上のほうが良さそうだ。
 
ソールはExtra Flexでもかなり柔らかく感じるけれど
柔らかさの質が頼りない感じではないし
出過ぎるほど出る甲の足でもないだろうから^^;
もう一段柔らかいのを試してみても
むしろ、もっと繊細に足裏を使うトレーニングにはなるかも。
と、いうことでやはり7.5N/2-221-33というタイプかな。
 
【San Juan Parangaricutiro】
 
先日書いた、「歌の祭り」 に出てきた
サン・ファン・パランガリクティロ関連の画像が掲載されているサイト。
圧倒されるような眺め。
そして人々の崇敬の想いが伝わってくる絵。
 
http://www.artificialowl.net/2009/04/mexican-church-buried-by-lava-san-juan.html
http://www.flickr.com/photos/ilhuicamina/2814282475/
 
 
【私のための薔薇】

たまには、自分自身へ贈る薔薇を
春の優しさを感じるような色で。
ジュナという名前だそうだ。
一言で言うと「つるんころん」とした
癖の無い薔薇だけれど
かなり大輪で存在感はある。
外弁が傷つきやすいみたいだが
そんな繊細さがいじらしく思え
他にクオリティに文句の無い綺麗な薔薇もあったのだけれど
あらあら、ならばうちにいらっしゃい、大切に扱ってあげましょう…的な
母性本能をくすぐられるような気分になってしまったのと(笑)
今日は朝から、何となくピンクに惹かれる日でもあったから。
  
でも、そういう想いは薔薇にも伝わるのか
買ってきたばかりのこの写真の時より
数時間たった今のほうが
ずっとシャキンと活き活きしてきたから不思議なものだ。

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うちの薔薇たちが咲き始めるまで
一輪でもいいから薔薇を絶やさない贅沢をしてみようかな。

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January 22, 2011

Epoch

睡眠不足という訳でもないのに
レッスンに向かう時も
帰りの電車の中でも
強い眠気が訪れた。
 
クラスレッスンまで時間があったので、
遅めのランチをとったり、そこで葉書を書いたりしつつ
隣の席で商談を進める男性2人の会話を
何となく耳にしていたり
乗換駅で下車して
特に目的もなくショッピングモールを歩いている時も
物を見ていたというより
そこに居る人や人の流れを観ていた。
特別に、見ようとか聴こうという意識があった訳ではないが
何となく、ボーっとしつつも、五感の中に
人々の営みが、背景が、世界が飛び込んでくるような
そんな感覚だった。
 
Epochという言葉が
何故か浮かんでくる。
 
クラスレッスンの時も
身体はいい感触だった。
良い方向に動き始めている。
何がどうと、まだそれに言葉を与えることはできないけれど
そこに解釈をつける以前の次元で
何かが動いている、作用している
そんな印象、気配として。
それは、先生のお直しの入り方や
それを受け入れる身体の反応みたいなものからも感じられた。
 
レッスンが終わってから
先生が「今日は、解放されているな~という身体だった。」
と仰っていらした。
実際、ある意味ではこの週末は「解放」されている面もあるし
長期的な意味でも解放され始めているので
身体は正直にそれを表すのだなと思った。
 
【読書】
 
帰宅して、再びル・クレジオを読む。
この本は、佐藤篤司氏デザインの装丁がまた印象的で気に入っている。
見返しの赤、標題紙の緑、扉のこげ茶やチャコール
しっかりとした、ざらつきのある紙の手触り。
何か、こう、大地のエネルギーを感じさせる力強さ。

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私は、特に187頁からの
「ミチョアカン州サン・ファン・パランガリクティロでの舞踊」という章の描写が好きだ。
 
司教から、インディオたちがキリストの祭壇の前で
彼らの異教徒的儀礼の踊りを踊ることを禁ずる命を受けたサン・ファンの司祭が
その禁令の告知後のある夜、耳慣れた音を聴く。
それはインディオたちが踊る足の音。
インディオたちが禁令を犯したのだと怒った司祭が教会に行って確認するが
そこには誰も居ず、静まり返っている。
そんなことが一晩中何十回も続き、とうとう司祭は理解する。
そこからの一節を、少し引用してみる。
 


サン・ファン・パランガリクティロのキリスト、火山パリクティンが噴火したとき溶岩流をくい止めた全能のキリストは、司教の決定が気に入らなかったのだ。キリストは彼の教会で人々が踊り続けることを望んだ。それがキリストの好む踊りだった。こうして、教会はその扉をふたたび踊り手たちに開き、その日以来、かれらは二度と踊りをやめていない。

 
 キリストが愛したのはその音、彼に語りかけ、彼の耳にもっとも甘美な音楽だった音であり、十字架にかけられていることの苦しみをやわらげてくれる唯一のものはその音だった。教会の柱と柱の間にあって、その場で飛び跳ね、三歩進んでは二歩さがる素足のたてる音。誰も話さず、音楽はなく、祈りもない。ただ地面を打つこれら全ての足の、鈍い音だけ。まるで何かを読もうとしているかのように少し身体を前傾させ、肘を体にひきつけた男たち、女たち、子供たちが、若者も老人もなく、踊りながら祭壇へと進み、ついでぴょんぴょんと飛び跳ねながら、両脇へと別れていく。


ジャン・マリ・ギュスターヴ・ル クレジオ 「歌の祭り」 

踊ることが、すなわち祈りである。
その力強い響きと、恍惚とした昂りと静寂とが
同時に押し寄せてくるような気分になり
何か、大地に根ざす深紅のエネルギーを感じさせてくれる。
 
【明けの明星】

まだ暗いうちに目が覚める。
ふと窓の外を見ると
金星が妙に明るい。
明るいだけではなく2つ3つ、並んで見える。
乱視気味なので、最初は自分の目のせいかと
眼鏡をかけて観なおしたが
どう眺めなおしても、やはり3つ見える。
金星と同じような輝きを持つ星が
この時期、こんな近くに並んでいただろうか?
どこか不思議で写真を撮って
少し空が明るくなってから再び同じ方角を撮ったが
そこにはいつものように金星がひとつ輝いているだけだった。
これは何だったのだろう。ISSか何かかな???

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