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November 03, 2009

Ballet:Lesson Notes #97

いつも昼間の時間帯に受けることが多い長谷川先生のレッスンだが
久しぶりに夜の時間帯のレッスンを受けさせて頂いた時のこと。
広がる夜景とキャンドルのほのかな光の中
片手バーでのプリエを丁寧に繰り返した。
その日は、ポール・ド・ブラも、より繊細に
プリエの動きとアームスの動きの微妙なタイミングや
留まることなく流麗に繋がりながら
でも、決して「流されている」のでは無い
アームスの運び方をとても丁寧にみていただいた。
捉える空間を広げ、床から押し上げられ
自分の体の中を通り抜けて、腕を辿り、指先へと抜け
更に空間へと放たれていくような
内なるムーヴメントの流れに運ばれ
広がったところから、微かに肘関節が滑ることによって
生じる指先には何の緊張も無いアロンジェは
関節の構造を、もっとも効果的に、かつ美しく使う
機能美でもあるのだということを実感する。

長谷川先生が実際にお手本を見せて下さったり
4番にタンリエしながらのポール・ド・ブラをさらっとやって下さるが
すっかり鑑賞モードで見入ってしまう(笑)
身近に知る限りのプロのダンサーの方も含めた中で、
多分、最もエレガントなポール・ド・ブラをなさるのが
長谷川先生だと私は感じているが
アメリカで師事なさっていた先生に徹底的に厳しく仕込まれ
ついには、その先生が「思ったとおりの軌道を描く」と認め
そして、クラスでは常に模範演技を行う生徒であったということが
指導の際のちょっとした動きの中にも現れている。
そうしたキャリアやエピソードを決して誇示するような方ではなく
むしろ、もっとアピールしても良いくらいなのではと感じるほど
そういった面でスマートな方なので
私がこうして書くことですら、くすぐったく感じられるのではないかと思うが
でも、語らずとも動きはそれを饒舌に表すものなのかもしれない。

ほのかな光という、通常のレッスンではなかなか無い環境の中で
そうしてポール・ド・ブラを、
どの瞬間にもその繊細なムーヴメントを
腕だけでなく、脚も体幹も頭も、全て通し、響かせるようにしながら
丁寧にトレースしていると
何故か、先日小川先生のKinesphereをテーマにしたセッションの中で
周辺視を感じ、Kinesphereを捉え、
更に広げていくようなエクササイズを行っていた時の感覚と
強く響きあうものをそこに感じた。
長谷川先生の細やかな導きに従いつつ
指一本の微かな緊張にすら意識を向け、それを手放しながら
肘関節の滑らかな滑り感
より広がっていく空間との繋がり感を
自分の回路に刻み込んでいくプロセスは
ポール・ド・ブラやプリエというごく基本的な動きの中にさえ
こんな上質な快感があるのかと
改めて感じるほどの至福のひと時でもあったし
自分が特別注意したり、意識を向けないところでも
生じやすい癖が出なくなったり
バーを持つ側の腕や体幹の状態が自然と良い状態になっていたり
腰もより良いアライメントに導かれたりして
私でもこんな動きができるんだ…と
自分の身体が、何だかべつものになったようにも感じられた。

通常のクラスレッスンのテンポや組み合わせの中では
まだ、それを保ちながら動き続けることは難しいかもしれないが
こうしたいつもと違う光の状態の中で
繊細な感覚や空間を感じ取りながら
その動きの感覚をトレースしていくことが
色々な意味で、今の私にいい作用を与えてくれるような気がしたし
このタイミングでそうした時間を持つことができたことは
昼間のレッスンの時以上に空間が手に取るように感じられ
それこそ、小川先生のセッションでのキネスフィアを
実際にバレエの動きの中で確認したようでもあり
体験を更に体験に繋げ、
自分の中に刻み込んでいくためにも
この上ない機会だったように思う。

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October 28, 2009

シン・インテグレーションのセッション2009-5

今日は今年5回目の小川先生のシン・インテグレーションのセッションへ。

最初、いつものようにカウンセリングがあったので
ここ暫くの印象や気付いたことなどをお話して、当初の予定通り
「Kinesphere」がテーマのセッションを進めて頂く事になった。
最初は、アナリシスから始まり
正面、側面、後ろ側からの身体の状態を
時々、体重のかかり具合を確認なさいながら観察していらした。
側面をアナリシスしている時に
「…大転子、肩峰、耳…ふーん、ラインは崩れないのですね。」
と、呟いていらしたので、
前回、アプローチして頂いた部分をいじると
そのラインに崩れが生じるような場合もあるのかな???と思ったりもしたが
とりあえず、そのラインは保った状態だったようだ。

Kinesphereのセッションを行うにあたって、
手を使う場合と、脚を使う場合があるのだけれど
腕を使ったエクササイズには肩の自由な動きが必要との事で
これまで余り肩はアプローチして頂いた事が無かったので
施術は肩を中心に行って頂く事になった。

それから、
「先生、ピョン吉ってご存知ですか?ど根性ガエルの。」
「はい、知ってますよ!?」
「無意識に動いちゃった時や、ちょっと精神的に緊張した時に
ピョン吉が、まず動きを引っ張ろうとするのを
リアルタイムで見つけちゃうことが多かったんです^^;」
「なるほど(笑)じゃあ、ピョン吉が動き出さないようにしましょう(笑)」
なんて話もした(笑)
実際「ピョン吉(のような反応)」の存在は
動きに追われたりすると生じやすいのは以前から自覚していたのだが
どちらかというと、動き始めてから気付く感じだったのが
何故か、このところは
その最初の瞬間を捉えることが多くなっていたのだ。

「まず、肩甲骨の動きを確認してみましょう。」
ということで、後ろ向きに立ったところで
小川先生が左右の肩甲骨の上に軽く掌を当てられて
「掌の動きに合わせるように肩甲骨だけを動かしてみてください。」と仰る。
まずは片方ずつで、上へ、下へ、外側へ、内側へ、あるいは斜め上にと
掌の動きを追っていく。
上下、外側、あるいは斜めに外に向かう動きは割りとスムーズだが
内側に向かう動きはどうもスムーズじゃない。
どちらかというと、むしろ肩甲骨間を収縮させるような癖は出やすいはずなのに
意識で操作しようとする時は、逆に不得手なのだということが意外な感じだった。
でも、考えてみたら、無意識のうちにでる癖や反応が生じる箇所というのは
それだけ、意識的な操作が利かないということなのかもしれないし
あるいは、できれば手放したいと思っている
収縮の方向性を持つ動きだから、
どこかで心理的に、その方向への収縮をさせたくないという意識が
働いてしまっているのかもしれないとも思った。

施術は仰向けで、鳥口突起の下を押さえながら
背中側から反対側の手で押さえて
サンドイッチ?されるような感じで
あるいは、腋窩から深く手を差し入れる形で
圧を加えたところで、指示された方向へ腕や肩を動かしたり
廻旋させるようなことを組み合わせつつ
時折、恒例の「これ、な~んだ?」攻撃(笑)も交えながら
リリースされている、個々の筋肉が動きによって
緊張したり、緩んだりするのを感じることを
自分でも確認するよう促されながら進んでいく。
登場したのは、大円筋、小円筋、棘下筋、棘上筋、肩甲下筋、肩甲挙筋、菱形筋
「ピョン吉の活動」に関連する前鋸筋の停止部
といったところだったろうか。

動き、感じながら、個々の筋肉をビジュアライズし
ふーん、こんな風に働きあっているんだなと
体感で確認できて面白かった。
時折、小川先生が
「普通の人が難しい動きが、かえってスムーズに出来るんですね。
ボディワーカーのワークショップなどで、この動きを試みても
誰もできなかったりするんですよ。」と
不思議そうに仰っていらしたが
多分、その動きはバレエのポール・ド・ブラで
体幹を保ちながらアームスの動きを操作する
使い分けを要するような時の感覚と似ていたから
おそらく、バレエをやっている人だと
スムーズに働く傾向のある動きなのではないかなと感じた。

最初、左側だけをリリースして
立ち上がって確認をすることになったが
もう、立ち上がる前の時点で
左だけが肩幅が倍くらいに広がったような気がするくらい
その差異は明らかだったし
実際に立ち上がってみると
重力で腕がぶら下がる感じや、肩がストンと落ちる感じが
とても印象的だった。

続いて、右側の施術になり
右は多分PC作業などで酷使して固めた時期も長かったし
多分、左より癒着が多いだろうと思っていたが
実際、癒着は多いにしても
動きに関しては、左で一度それを脳が学習したからか
あるいは利き腕だからか
左の時より動きのコツを掴むのが早いように感じられた。

そして、お待ちかねのKinesphereのエクササイズ。
肩幅程度に脚を開いて立ち
2~3m離れた壁の目線の位置に、先生が赤いマーカーをつけた。
「今から手をとって動かしますから、あのマーカーを見たまま
視野に自分の手が見えたら”見えた”、見えなくなったら”隠れた”と
心の中で呟きながら周辺視を感じてみてください。」とのこと。
最初、身体の側面に自然に落としていた腕の
肘と手先を先生が持って
前後へジグザグの動きをさせながら、
次第に上昇させていく。
自分でもちょっと意外だったのだが
結構、広い範囲で「見えている」もので
所謂、バレエのポール・ド・ブラで通る軌道は
全て視野に収まるだけでなく
特に、ドゥミ・スゴンドの辺りから、ア・ラ・スゴンド、
そこからアン・オーになる途中までの
角度にして90度くらいの間は身体の後部側に入り込むくらいのところ
所謂、前頭面(冠状面)を超えたところでも
視界に入る手を感じた。
そして、ただ見え方を確認するだけでなく
その時の筋肉の働き方や
重心が移動する感覚にも同時に意識を向ける。

最初は、自分は力を抜いて、先生の導きに合わせてだったが
次は自分でその動きを続けながら
自分の視野に入る空間の境界線を探るように
ジグザグで上昇する動きを繰り返し
その境界線を感覚で掴めたかなという段になって
今度はジグザグではなく
その境界線をトレースするように
滑らかに動かしていくことをした。
更に、今度は実際の視野から外れても
その手の存在をビジュアライズして
感じ取れる範囲まで広げて
視覚以外の感覚で捉えられる空間へと
動きを広げていくこともした。

肩のリリースをして頂いた後なので
いつも以上に自由に動くアームスが気持ちよく
その軌道を感じながら
基本的にはバレエのアン・バから、ア・ラ・スゴンド、
アンオーへと繋がるポール・ド・ブラの軌道をベースに
斜め後方へアロンジェするような範囲とか
白鳥のアームスで出てくるような範囲は
私にとって、一応Kinesphereの領域なんだなと
感じたりもした。

※Kinesphere
 「身体周囲において運動の可能性を予示する空間」
 「身体図式に基づく運動空間」

また、左右それぞれの腕のエクササイズを一通り行った後の
身体が感じる空間の印象を確認もしたが
確かに、そのエクササイズを行った後は
より、空間のリアリティがはっきりとして感じられ
また、自分自身と繋がっている感覚があった。
それから、身体を正面に向けたまま
首を左右に向けることも試みたが
最初にKinesphereのエクササイズを行った右側は
動きをつけるときでも
頭がそちらへ向いていく動きと
視線の動きが自然に同調するのに比べて
まだ行っていない左側は、最初に視線が動いて
身体の動きがそれを追うような、
視線が動きを先取りして引っ張るような感じだった。
その後、左側のエクササイズも行ってから同じ確認をすると
今度は左側も頭の動きと目の動きの時間差が無くなって
動きもよりスムーズになったことを感じ
きっと、この状態でピケターンをしたら
右も左もスムーズに身体がまとまるだろうと思った。

そして、次は脚でも同じことを繰り替えす。
バレエのレッスンではないから
そう高いところまで脚を上げはしなかったが
多分、アームスの時と同じように
バレエの動きの軌道が関わる範囲に沿って
Kinesphereの広がりはあるのだろうなという感じがした。

Kinesphereの領域というのは
その柔軟性を広げられる範囲でもあり
本来、動きをコントロールし得る領域で
それは広げていくこともできたり
Kinesphereが濃い、薄いと表現するように
その捉え方の密度も向上させていくことができるものなのだそうだ。

このKinesphereのセッションは
バレエやダンスのパフォーマンスの向上には
とても効果的なのではないだろうか。

範囲を広げたり、より濃く感じられるように
これからも、時折このエクササイズを行ってみようと思う。

セッションルームから駅までの道を歩きながら
感じる空間の広がりや、肩の動きの自由さだけでなく
歩くという動作の中でも
全身のコーディネーションが格段に良くなっていることにも驚いた。
施術は肩の周辺だけだったのに
案外、そこに隠れていた癒着が
全身に影響を与えていたんだなと実感し
次のバレエのレッスンが更に楽しみにもなった。

今回も、文字通り「世界の眺め」が変わるような体験や気付き
それをバレエに繋げていくためのヒントを
両手に抱えきれないほど頂いたセッションだった。

小川先生、ありがとうございました。

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October 07, 2009

シン・インテグレーションのセッション2009-4

今日は今年4回目の小川先生のシン・インテグレーションのセッションへ。

「Kinesphere」をテーマにお願いさせて頂いたので
最初のカウンセリングでは
今、どういうことを感じていて、
どういうところにヒントを得たいかをざっとお話させて頂き
それとは別に、立ち仕事の負担の蓄積らしき不具合も若干あるので
その症状がどのようなもので、どこに生じ
どういう動きが負担になるかを実演しつつ説明させて頂いた。

AnatomyTrainsで言えばDeep Front Lineに沿って
とりあえず日常生活に支障は無いものの
小転子から鵞足、脹脛の内側の骨に近いところを通って
足底の拇指に繋がるラインに
奥の方で引っ張られる感じや
フロア・エクササイズによっては辛さが出たり
その日のコンディションでは
4番のグランプリエがきつかったりしている。

メンテナンスとKinesphereのセッションと
どちらが先でも良いとのことだったが
やはり、どうせならコンディションが良くなってからの方が良いなと思ったので
今回はメンテナンスを行って頂くことにした。

アナリシスの時に自覚している骨盤の捻れの傾向も仰っていらしたので
それが強くなってくると
仙腸関節や大転子などに不快感が生じたり
それが背中や首の方まで広がることもあるので
ボールを2箇所にあて、うつ伏せでリラックスするだけの
自重を使った調整を行っていることをお話した。
(次女がいる時は、左の坐骨結節を
リズミカルにポンピングするようなヘルプをしてもらうこともある。)
当てる位置なども正しいし、
それは良いことだと思うと仰って頂いたので
疲れが溜まってきた時は
やはりそうしたケアも臨機応変に行いながらの自助努力^^;も
続けていこうと思った。

施術になって、天井からやった方がいいかな…と呟いていらして
「天井???」と一瞬思ったが
お腹の方から腸腰筋等にアプローチをされて
膝の僅かな曲げ伸ばしなどを求められたので
区画の天井ってことかな?などと考えたりしていた。
(違うかも^^;)
その辺りをリリースされている間、アプローチされている部分より、
大転子に響く感覚の方が強かったのが印象的だった。

股関節の周辺や、鼠径部など
血管や神経管を注意深くよけながら深いところをリリースして頂くと
骨盤の内側から引っ張られるようだったものが
次第に緩んで骨盤の中のスペースが広がったように感じられ
呼吸する度に波が骨盤全体に広がって
まるで骨盤で深呼吸しているような心地よさがあった。

脚部では、やはり自分でももたつく感じがあった
大内転筋の恥骨と坐骨結節寄りが
厚くなっていると仰っていらした。
自分でも長時間立っていると疲労が蓄積して感じられる部位だ。
「こう除けると、これはもう骨(大腿骨)ですからね~」
などと仰いながら、何気に深いところまで解いていかれる^^;
その後も、私が訴えていた
常にキュッと牽引されているように感じるラインを
見事にとらえながら足底までリリースして下さった。

どこかが部分的にひどく固まっているとかではなく
姿勢筋が全体的に硬くなっていたそうなので
やはり、立ち仕事の負担が大きいかなとも思う。
それと同時に、やはり、もう少し腹横筋の働きを良くして
バランスを取ることで負担を減らすような
姿勢の維持の感覚を見直さなければいけないかなと思った。

次回までに、立ったまま仕事の合間にも出来るような
エクササイズを考えておきますと仰って下さった。

セッションを通じて、良い状態を取り戻して頂いても
自分のライフスタイルの中でどう維持していくかが
大事なことだと思うので
またいろいろ模索してみようと
セッション後の「楽に積みあがっていく身体」を味わいながら思った。

余談:
身体が解けて、意識も緩んだのか…
電車の中に(また^^;)傘を忘れて降りてしまった(涙)
明日、台風みたいなのに…小さい折り畳み傘かぁ;;;


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October 03, 2009

 Ballet:Lesson Notes #92

【読書】
週末、一通り読んだ「これがボディワークだ―進化するロルフィング
今週は通勤のお供にもしながら、精読させて頂いた。

身体教育(somatic education)の章は
特に、このところずっと自分が抱えているテーマのようなものと
通ずる面が多く、付箋と赤ラインだらけになってしまった(笑)

ケン・ウィルバーの著書の数々やら
ナムカイ・ノルブの「ゾクチェンの教え」やら
このところずっと多読傾向できたけれど
「生まれては消えていく絶えざる思考の流れとしての心(私)を眺めつつ
でも、それをジャッジしたり、翻弄されたりせず
透明な観察状態の中で初めて生じる気付きや受容
それによって、内側から変わり、動き始める何か」
それに響きあうものを読み取ろうとしていたのかもしれない。

そして、漠然と広がりすぎてしまった関心と
それによって散らかった思考を
この本を読むことを通じて、今一度整理し
微かに捉え始めた、その何かに
体験のレベルで、どう取り組んでいこうかというところに
シフト・チェンジさせて頂いたようにも思う。

次回、「Kinesphere」 がテーマのセッションが
更に楽しみになってきた。

【CoolBallet】
前日、仕事中からちょっと喉が痛いなと感じたり
おまけに調べ物があって、つい夜更かししてしまったので
少し気をつけないといけないな…と思っていた。

その旨お話して、まずホメオパシーのレメディを頂いてからリラクゼーション。
やはり、この日は強い浄化力のあるフランキンセンスのお香に
自分自身がいつも以上に響きあっていくのが感じられた。
いつも、受身で「気」の心地よさを味わうばかりだったが
この時は自分の中心からも
その「気」の響きに調和していきたくなる衝動のようなものがあり
眉間がずっと疼き続けているような感覚が印象的だった。
秋雨の降り注ぐ、アンニュイな午後の光に寄り添うように
生じてくる動きも、フロアから余り離れず
膝や脚を休ませながらも関節を大きく動かすようなものが多かった。
後に、長谷川先生が
「坐ったままアダジオを踊っているような」と表現されていたが
確かにそんな感じだったと思う。
一面真っ白な世界の中で
煌く純白の細かい砂と戯れているようなイメージの浮かぶ中
永遠にそこに留まり続けていたくなるような
心地よいひと時を通じて
喉の違和感も、耳の下のちょっとしたコリコリもすっかり消え
立ち仕事で蓄積した、足腰の負担も
全身の関節の詰まりも、全てリセットされたような
ニュートラル感が広がっていった。

バーレッスンは、この日は両手バー。
そして、若干のセンターでのエクササイズ。
プリエやタンジュ、カンブレ、ロン・ドゥ・ジャンブ、ポール・ド・ブラの
全ての瞬間を味わい、
この10月の柔らかな雨のように
丁寧に自分の身体にしみこませていく様な時間だった。

【レッスン】
その後、少し時間を置いていつものクラスレッスンへ。
神経はまったり緩んでいるけれど
身体の中心は目覚めているような
リラックスと覚醒が程よく同居したような状態で
自分の身体の状態がとてもよく感じ取れるようだった。

こういう響きの良いとき
言い換えれば、
身体は覚醒していても
意識がまったりと、受容の状態にあるような時だは
先生の仰ることを自分の感覚の言語と
繋ぎ合わせていく過程がとてもスムーズになる。
面白いもので、先生がある部位を「使う」と表現されることが
私の中では違う部位を「解放」することで
よりスムーズに体現されていくような事が結構あり
それが体現されて初めて
先生が「使う」と仰っていらしたことの意味というか、感覚を
違う角度や、言葉や、文節で捉えなおして
身体がそれを理解することがある。

来年の舞台の日程も決まり
また、次の機会に向けて少しずつ色々な事が動き始めている。

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September 28, 2009

Ballet:Lesson Notes #91

来週、小川先生のシン・インテグレーションのセッションを
受けさせて頂く予定なので
このところは、ちょっと意識的に
自分の感覚や生じる動きをモニターしている。

ちょっとしたことだが「好ましくない反射」のようなものが起きるのは
どういう時で、どのように出て、それは何故か
ということを、自己分析するような感じで。
もともと、この分析癖がある意味では調和を阻んでもいるのだろうが
面白いもので、それを「修正しよう」とせずに
ただ、観照しているように捉えていると
それが生じ始めても、気付いたことで
割とすぐに身体が勝手に修正していくような印象がある。

意識が邪魔をするから、なるべく意識を手放すことを
ずっと試みてきたわけだけれど
自分をある価値観でもって変えようとして持つ意識では
ある種の抵抗や、葛藤が生じるようなものが
ただ、注意を向けることに留まるような意識だと
そういう、癖になっていて、割とすぐに修正可能でありつつも生じやすい反応のようなものは
余り反発せずにスッと消えていくもののようでもあり
面白いなと思った。

タイミング的には、動き始めようとする瞬間には
肩甲骨間を縮め、若干肘を引寄せたくなるような衝動が
もう、微かだけれどすでに生じている。
特に苦手意識のある動きや姿勢をとろうとするとき。
たいてい、その出始めの瞬間に、一瞬視線が落ちる。
多分、何かを確かめるべく
自分の内側の感覚にスッと入り込んでしまうのかもしれないが
そうなることで、それまで空間との繋がりの中で
感じていたスペース感のようなものも
キュッと内側に縮まってしまう。

何故なのかなと考えると
そうして反射的に縮めようとしている部位というのは
多分、それは長い年月の間
腰を境に上下に分断されていたような
繋がりのない身体で過ごしていた私が
上半身を支える拠りどころにしていたところで
常に働いていた、優位に生じやすい
回路みたいなものなのかもしれないなと思った。

無意識に生じていることを
取り除こうとするのではなく、
とりあえず、そのプロセスの始まりに
なるべく光をあてていくことと
その部位を操作しようとせず
視線というか視界にちょっと注意を向けてみることとか
(表情筋のちょっとした変化でも、案外響くかもという気がする)
あとは、その反応の生じ始めやすい動作の
実際に動き出す直前までの部分だけを
ちょっと注意深くトレースしてみるのもいいかもしれない…
なんてことを、感じたレッスンだった。

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リリース

午前中、少し夫の脚のリリース。
事故の後遺症で片足に湾曲と短縮がある関係で
どうしても偏った負担がかかりやすい身体の状態なのだが
2週間ほど前に、仕事の都合でかなり長時間歩かざるを得なくなり
その日の夜は、怪我をした大腿骨や膝だけでなく
体重がかかっただけでも足の甲が痛いと言って
ひどくびっこを引きながら帰ってきた。

怪我した方の脚は、むやみにいじっても良くないのでは…という気がしていたので
これまで、あまりリリースしたりはしなかったのだが
ずいぶん辛そうだし、ちょっと触察してみたら
側面のラインがまるで鉄板のように硬くなっていて
足底筋膜も同様…
本人は湿布薬を貼ったりして、なんとかやり過ごそうとしていたらしい。
炎症が起きていたりするかもしれないから
その日はルータとルストックス配合のクリームを少し使いながら
痛みを感じている箇所から離れたところ
脛や足底の、本人が押されても痛くないところに
少しずつゆっくり時間をかけてアプローチした。
翌日、だいぶ落ち着いたようではあったが
まだ、張りは結構ありそうなのが気になっていたし
2週間ほど経過しているから
もう少し、しっかりアプローチできるかなと思って
本人が望むようなら、少しリリースしてみるかな…と
訊ねてみたところ、珍しく^^;その気になって
自分から腓骨のあたりをさして
この辺やってくれる?という。

怪我した方の脚の外側のラインを中心に大転子から足底まで
4~50分かけて、指先でふっと緩む感覚を感じ取りつつ
時折、フレックス・アンド・ポイントのような動きを貰いながら。
全体的に硬いのは硬いが
やはり、度重なる手術で切開した傷があるところは特に硬い様だった。
それでも、「解けろ解けろ~」と念じるように(笑)
少しずつ丁寧にリリースしていくと
最初は押しても引っ込まなかったくらいの筋肉に
弾力が出てきて、腓骨の形も浮き立ってきた。

リリース後暫くして、
「あ、膝のチクチクする感じが無くなった」
とも言っていたので、少しは歩行も楽になるとは思うのだが。

理想的には、定期的にちゃんとしたメンテナンスを
受けられれば良いとは思うのだけれど
仕事が忙しかったりすると、よほど切羽詰らなければ
そこに時間をかける気にもならなかったり
どこかに、元通りに戻るわけではないという
諦観のようなものが生じてしまうのもわかるような気がするし
今の状況まで機能を回復させることができたのも
PTの先生が感心するくらいの並々ならない努力を
重ねたからこそであることを目の当たりにもしているので
余り無神経に、それ以上を勧めるのも躊躇われてしまう。
気の回しすぎなのかもしれないが
そういう不器用さが、多分私にはある^^;

それでも、痛みがあるのが当たり前、仕方ないと
思ってしまうのではなく
今よりもっと楽になれるかもしれない
そういう希望のようなものをちらっとでも持ってくれたり
あわよくば、もう一度
しっかり身体と向き合おうという気持ちに
つながる様なきっかけになったらいいなと思ったのも
リリース法の講座に通った理由のひとつでもある。

私にできるのは、当座の不快感を
若干和らげる程度のことだけれど
いずれ、次女が一人前のPTになったら
きっと大きな支えになってくれることと思う。

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September 26, 2009

これがボディワークだ―進化するロルフィング

昨日、やっと読みたかった
小川先生と斉藤先生の共著
これがボディワークだ―進化するロルフィング
これがボディワークだ―進化するロルフィング
が手元に届き、
この週末はずっとこの本を読んでいる。

これまでセッションを受けたり
講座で学ばせて頂きながらも
なかなか、その限られた時間の中だけでは
触れることができなかったり
自分自身が漠然とした疑問を抱きつつ
漠然としすぎていて訊ねることができなかったようなことが
とても判りやすく、かつ、よく整理されてまとめられていて
「そうそう、これが知りたかったの!」と
膝を叩きながら、夢中になって拝読した(笑)
アイダ・ロルフの言葉が数多く引用されていることも嬉しかった。

かねがね、アイダ・ロルフの著書が翻訳されていないことを
残念に思ってきたが
それが「身体教育」であるなら、なおのこと
「開かれて」いて欲しいと思う。
プラクティショナーを目指す方のみでなく
それを受ける立場であっても
「治してもらおう」とか「なんとかしてもらおう」と
その機会に依存するのではなく
より主体的に関わり、自分もまたそこから様々な可能性を広げていこうと臨む時
やはり、それを創造した方の考えや言葉に触れたり
歴史的な背景や、その後の変遷
その他のボディワークや療法との関係や違いなども含めて理解を深めたいと
思う方も少なくはないだろうし、(少なくとも私はそうだった^^;)
自らのセッションの体験を
毎日の生活全てがその学びの延長でもある
セッションの後の時間の中で
より「活かされたもの」としていくために
それは大きな助けになると思うから。

そういう意味でも、この本は
ロルフィングやシン・インテグレーションにクライアントとして
触れようとする、あるいは触れてきた方々にとっても
とても参考になる1冊だと思う。

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September 23, 2009

Ballet:Lesson Notes #89

2日間ほどは、印刷物を作る仕事があったので
PC作業が続いたり合間に家事や
ケン・ウィルバーの本を読んだりで過ぎたけれど、昨日はレッスンがあった。

少し早めに着いたし、次女も一緒だったので
ハムストリングスだけ軽く解してもらった。
先日もちょっとだけやってもらった
付着部に近いところを押さえながら
動きを加えていくリリース法は
束になってくっついてしまいがちな部分を
効率よく解してくれるようで、
それと、うつ伏せで片方の膝を90度曲げて
仙腸関節に腕で圧を加えながら股関節内旋の動きを加えたり
あるいは、大転子の際に指を入れるように圧を加えて
同様の動きを加える方法も
アンドゥオールに関係する骨盤まわりの筋群を
とてもいい感じに整えてくれるように感じた。

さすがに仙腸関節に自分の腕を当てて圧を加えるのは無理だけど
拳に置き換えたりすれば、ある程度は
同様の状況を作れるかな…
大転子の方も同様に…
なんて、また、ついセルフバージョンをあれこれ考えてしまう(笑)

今日は、自分の中にスペースがあると感じられる時の
身体の状態を、少しモニターしてみた。
やはり腹斜筋の働くバランスかなと感じた。
それは、使いましょ…と思って
キュッと収縮させているような感覚ではなく
自分が捉えている周りの360度の空間から繋がる
幅の広い、収縮性もあるようなリボンが
たすきがけのように両脇をサポートしてくれているような感じで
その空間の彼方からの支えの中で
くつろいでいるような居心地とでもいうのだろうか。
うまく表現できないけれど
自分の内側の感覚としてだけでなく
空間との繋がりの中で生じてくる安堵感のようなものは
呼吸を自由にし、肩甲骨から上を開放し
腰から下の自由度を広げるようなスペースを
自然と生じさせているようにも思う。

レッスン後には車で30分ほどのところにあるホールへ
知人のゲスト出演する舞台を観に行って
久しぶりに質の良い動きの美しさを堪能し
バレエ三昧の一日だった。

三昧から脱線して…
もともと三昧とは
「仏教における禅、ヒンドゥー教における瞑想において、
精神集中が深まりきった状態のこと。」(Wikipedia)だそうだが
先日のチベット展のにもちなみ、
また、ケン・ウィルバーの著作とも響きあう面が多いので
ゾクチェンの教え―チベットが伝承した覚醒の道
ナムカイ・ノルブ著 地湧社
から、印象に残っている言葉を。

<光明>というのは、最初のその知覚が、そのまま生き生きと新鮮かつ直接あらわれている状態を指している。判断や、意識作用はまだはたらきはじめていない。そこには、すべての生きものにもともとそなわっている根源の境地が、自然に顕現している。同じことは思考についてもいえる。思考のあとを追いまわしたり、意識の判断作用の中に取りこまれたりしなければ、思考もまたわたしたちの自然な光明の一部なのである。
ゾクチェンの修行者は、山の頂上で瞑想するために、社会を放棄して隠棲する必要などない。隠棲してしまうのは、とくに現代社会においては困難だ。食べ、ふつうに生活していくために働く必要があるからだ。三昧をいかに日常生活と一つのものにしていくか悟ることができれば、日常生活を続けながら、隠棲しているのとまったく同じ進歩をとげることができる。  ゾクチェンの修行は、表れてくる顕現と自分自身を一つにしていくことだ。顕現は、五感による知覚をすべて含んでいる。楽しい音楽を聞いていようが、あるいは工場のような、耳を聾さんばかりのひどい騒音のある場所にいようが、同じことだ。なぜなら、どちらもすべて顕現の一部に他ならないからだ。すばらしいバラの匂いをかごうが、トイレのすざまじい臭いをかごうが、違いはない。どんな場所にいたとしても、そのすべては顕現の一部である。現象してくるものすべては、みずからの原初の境地のエネルギーのあらわれだ。三昧の中では、そのことが直接にわかる。捨てるべきものもなければ、得るべきものもない。リラックスした覚醒の境地にとどまり、どんな知覚が生じてきても、それを統合することが、ゾクチェンの修行の心髄だ。



多様な現象の本性は不二だ。
ひとつひとつの現象も、心の作り出す限界の彼方にある。

あるがままのものを定義する概念などありはしない。
にもかかわらず、顕現は現れ続ける。すべてよし。

一切はすでに成就しているのだから、努力の病を捨て去り、
あるがままで完全な境地の中ににとどまること、それが三昧だ。

(覚醒の境地のカッコー、六行の金剛の詩)


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September 13, 2009

Key to Consciousness

この週末も、今自分が関心を持っていることに関連して
好奇心の広がるままに
あれこれ調べたり、試したりすることに没頭していた。

関心を持っているそのフィールドには
ある程度確立された教育体系や
その段階に応じた資格などもありはして
そこで学ぶことも考えはしたのだが
どうも、余りにシステム化されたそのプログラムに
私自身は最近少々疑問を抱いていて
元になる考え方や、そのツールやプロダクツに関しては
確かに響きあうものを感じるものの
その資格の取得とセットでお膳立てされた
それなりに高額の費用が必要となるプログラムに
飛び込んで行くことにはどこか抵抗があり、
結局そのコースで学ぶことを
自分なりに辿っているという感じのこの頃だ。

もちろん、そこに飛び込まないで
外側から、より深く学ぼうとするのは
決して効率が良いものではないし
資格に興味は無いけど
それをより自分の中で実践的に応用し
役立てられるようになるために学びたいというニーズには
余り門戸が開かれていない現状で
情報を得るのも一苦労ではある(笑)

小川先生や斉藤先生が
広く開かれた形で学びの場を提供してくださって
それに触れ、そこから多くの恩恵を預かってきた身としては
余計に、その閉鎖性のようなものが
馴染まないのかもしれない。

でも、要領悪く触れていこうというプロセスの中にも
苦心してそこにある繋がりを見出していくことで
ポンと与えられて受け取るより
発見した歓びのようなものを感じられる面も
あったりはするようだ。

この週末も、それに関連する不器用な探求をずっとしていた訳だが
そのプロセスの中で
その教育体系の中に何故、その分野の学習が含まれているのか
ということが、実感を伴って感じられて
自分で学べることに限りはあっても
それが見えてきたことが、自分にとってはとても価値があることのように思えた。

Key to ConsciousnessそしてVibration
一言で言えば、そこに共通するのはそういうところで
私の求めるものと、それらが響きあうのだろう。

顕在意識の及ばないところに
それを制御しようとするのではなく
まずは光を当てていく。ただ眺めていく。
意識していない、あるいは意識できない部分というのは
ある意味では何かしら抵抗のある場所
無意識のうちにもシャットダウンしようとする
何らかの理由があるのかもしれないし
最初から、それを自分の顕在意識でジャッジしたり
どうこうするつもりで触れていこうとしても
触れられるようなものではないような気もする。

それが何であれ、ある種の象徴的なものが
自分の気付かない自分の一面を
照らし出してくれるものに
ただ、気付くということが惹き起す変容への力
そんなことをあれこれ模索しつつ
自分なりの活用の仕方を見出すべく向き合っている。

Ca3c0287
先週水曜日にここに載せたエレーヌ。
撮影後、花瓶に移したのだが
未だにこんなに元気♪


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September 05, 2009

Ballet:Lesson Notes #84

【CoolBallet】

今週は週の始めから強く印象に残る夢を
いくつも見たりしていたせいか
身体はそれほど疲れてもいないのに
どこか神経に休養が必要なように感じていた。

不思議なもので、そういう時は
リラグゼーションから生じる動きも
スローモーションのようにゆったりとした
余り、大きくない動きで
フランキンセンスからサンダルウッド、そして
フローラル系の甘美な香りと
次第に変わるお香の響きと合わせて
くゆる煙と戯れるかのような
アームスを主体とした動きが生じてくるのが印象的だった。

そんな、穏やかな時間が
自分の深いところに滋養を与えたかのように
どこか芯のところから
解き放たれ、満たされたような心地よい余韻に包まれて
レッスンが終わった。


【レッスン】
続いて、クラスレッスン。
今日は4人だけのこじんまりしたレッスン。
リンバリングの最中に先生からお直しを頂く。
ア・ラ・スゴンドに脚を上げた時の状態の
右で立った時と、左で立った時の違いを
改めて確認させて頂いた様な感じで
右で立った時は、左で立った時のように
素直に繋がっていき難いのは
やはり、右側の制限に起因しているかなという印象を受けた。
左側の股関節に若干不具合の気配が生じ始めているのも
右の制限を、補おうとする使い方を
ダンスの時に限らず、日常の様々なシーンで
行ってしまっていることの蓄積の表れかなとも感じている。

ただ、その制限に意識の焦点を絞りすぎてしまうと
かえって、全体の調和は乱れるようだし
物理的な解放と合わせて
調和の感じ方そのものとでもいうのか
自分や世界の眺めそのもの
意識の眼差しの基点を少し変えてみる試みも
面白いかもしれないなと感じた。


【読書】
今、読んでいるのは
バイブレーショナル・メディスン―いのちを癒す「エネルギー医学」の全体像
バイブレーショナル・メディスン―いのちを癒す「エネルギー医学」の全体像

ホメオパシーやアロマ、気功と
日ごろ、その恩恵に預かっている
微細なエネルギーについて
少し引いたところから眺めなおしてみたかったから。

目に見えないもの、科学で証明出来ないもの
それでも確かに存在すると感じられるものが
やはりあると、私は感じる。
もちろん、胡散臭いもの(笑)も多々ありの世界かもしれないし
何でもかんでも「あり」だと思っている訳ではないが
少なくとも、体験を通じて身体の響きとして感じられるものは
自分にとっては真実であるように思う。

【ボディワーク】
ちょっと必要があって
久しぶりに、小川先生のシン・インテグレーションのセッションの記録を
3年分ほどまとめて読み返した。
セッションの記憶が、鮮やかに蘇ってくる。
その追体験から、
私はその体験を十分に活かしているだろうかと
省みる想いと共に
時折、こうして追体験をしていくこともまた
蒔かれた種に水や肥料を与え
今の土壌で開く花を育むきっかけになるのかもしれないと思った。

その体験の延長に広がる世界や感覚を
今、私はどう感じているだろうか。
もし、その当時の意識を例えて「随筆」と表すなら
それは時と体験の積み重ねを経て
少ない言葉で、広がりも含めた世界を
「詩」のようなものとして捉えているような気がする。

Ca3c0278
エレーヌ・ジュグラリス

窓辺の薔薇たちはたくさんの蕾をつけて
秋の彩の準備を始めている。

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