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November 05, 2009

ゼルダ・フィッツジェラルド

今、移動のお供にしている本が
ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (村上春樹翻訳ライブラリー)
ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (村上春樹翻訳ライブラリー)

今日は、その妻ゼルダ・フィッツジェラルドについて触れられた章を読んだ。
以前、友人に勧められて「ゼルダ・フィッツジェラルド全作品」を購入し、
そこに収録されている自伝的小説「ワルツはわたしと」を読んだのだが
村上春樹氏の眼差しを通じて、スコットとゼルダの生き様全体にざっと触れながら
改めてゼルダがあれほどまでストイックにバレエに傾倒していった背景を
重ね合わせながら、「ワルツはわたしと」を思い出すと
何とも一言では言い表せないような心情になりもしたし
その上で、もう一度ゼルダの描いたバレエに
触れなおしてみたい気持ちになった。

心身の崩壊へと道を辿るバレエの底流は
2人いる故の孤独、壮絶なまでのアイデンティティの希求だったのかもしれない。


ゼルダ・フィッツジェラルド全作品

この本の中で印象的だったのが
ゼルダ自身がスコットについて語った言葉。

「彼の肩甲骨の下に天上からの支えがあって、それで彼の両足は地面から離れて宙に浮いているように見えました。」
「まるで、本当は空を飛ぶことだってできるのだけれど、世間の手前いちおう足を使って歩いているんだ、といった感じなんです。」

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July 11, 2009

Birthday

【その前日、そして今日】
薔薇たちの生命の営みにハッとさせられた金曜の朝。
前夜から続く、湿り気の多い強風の中で
届いて以来余り変化の無いようだった
アンナ・パヴロバにも新たな芽の透明感のある深い赤が
刻々と姿を変える雲の流れを背景に天に向かい
エレーヌ・ジュグラリスにもいくつかシュートが伸びて
サー・フレデリック・アシュトンには可愛らしい蕾が二つ。

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そして、お誕生日のお祝いにと
新たに3つも薔薇の苗を頂いた♪
淡い黄色や、アプリコット色のクォーターロゼット咲きの
ジャンヌ・ダルクとマルシェルブ、
そしてスプレー咲きになるというオフホワイトのイングリッシュ・アイズと、
これまで我が家にあった薔薇たちと
ちょっと違った風情の品種ばかりで
これから花が咲くのが楽しみでもあり
贈って下さった方の真心を
その成長と共に感じ続けていかれるだろうと思う。

ジュリークのラベンダーのシャンプーも頂いたり
今日は朝から、友人が祝福のメッセージを送ってくれたり
暖かいお気持ちに触れながら
今ここに生きているという手触りを
大事にしながら過ごしていきたいなと思った。

【タッチハンガー】
先日、三砂ちづるさんの「タッチハンガー」を読んだ。
結婚、出産、育児…女性として生きるということ
すでに娘たちも成人し育児も終盤(笑)の私だが
もし、こういう懐の深い視座に若い頃に触れていたら
もしかしたら、もっともっと豊かさを実感しながら
その体験を楽しめたかもしれないなと思う。
タッチハンガー がんばり続けてなお、満たされないあなたへ

また、三砂さんが翻訳なさった
フィリス・K・デヴィス著の「パワー・オブ・タッチ」も、私が大事にしている本。


パワー・オブ・タッチ

冒頭の詩を引用させて頂こうと思う。

わたしにふれてください

もしわたしがあなたの赤ちゃんなら
どうぞ、わたしにふれてください。
今までわたしが、知らなかったやさしさを
あなたからもらいたい。
あふろにいれてください、
おむつを替えてください
おっぱいをください
きゅっとだきしめてください、
ほおにキスしてください
わたしの体をあたためてください
あなたのやさしさとあなたのくれる快楽が
わたしに安心と愛をつたえてくれるのです

もしわたしがあなたのこどもなら
どうぞ、わたしにふれてください
いやがるかもしれないし、拒否するかもしれないけど、
何度もそうしてください
わたしがどうしていやがるかわかってほしいから
おやすみなさい、と抱きしめるあなたの腕が
わたしの夜を甘くしてくれる
昼間にみせてくれるあなたのやさしさが
あなたの感じる真実を伝えてくれる

もしわたしがあなたの思春期のこどもなら
どうぞ、わたしにふれてください
もう大きくなったのだからなんていわないでください
あなたがわたしにふれるのをためらうなんて
思いたくない
あなたのやさしい腕が必要です
あなたのおだやかな声をききたいのです
人生は困難なもの、とわかったいま、
わたしの中の小さな子どもがあなたを必要とするのです

もしわたしがあなたの友達なら
どうぞ、わたしにふれてください
あなたがだきしめてくれると、
わたしはあなたにとって大切な人だとわかるから
あなたのやさしさが、おちこんでいる私も、
かけがえのない存在であることを
思い出させてくれるから
そしてひとりではない、と思い出させてくれるから
わたしにやすらぎをくれるあなたのありよう、
それだけがわたしが信じられるもの

もしわたしがあなたのセックスの相手なら
そうぞ、わたしにふれてください
あなたは、情熱さえあれば、十分と思うかもしれない
でも、あなたの腕だけが、わたしの恐れをとかしてくれる
あなたのやさしくおだやかな指先をください
あなたにふれられて、わたしは愛されているということを
思い出すことができる
わたしはわたしなのだ、ということを
思い出すことができる

もしわたしがあなたの大きくなった息子なら
どうぞ、わたしにふれてください
わたしには、
抱きしめるべきわたしの家族はいるのだけれど
それでも、傷ついたときには
おかあさんとおとうさんにだきしめてほしい
おとうさん、あなたといるとすべてが違ってみえる
わたしが、大切なわたし、であると
思い出すことができる

もしわたしがあなたの年老いた父親なら
どうぞ、わたしにふれてください
あなたが小さかったときに
わたしがあなたにふれたと同じように
わたしの手をにぎり、わたしのそばにすわって
わたしを力づけてください
わたしの疲れた体によりそい、あたためてください
わたしは随分しわくちゃになってしまったけれど
あなたのやさしさに力づけられる

どうぞ,何も恐れないで
ただ、わたしにふれてください

Phyllis K.Davis(訳 三砂ちづる)

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July 02, 2009

The Prophet

久しぶりに、外出の予定もない平日だったが
少々時間のかかる印刷物を今日中に仕上げたかった。
作業といっても、実際はプリンターがやってくれるので
私は時折給紙をしたり、原稿のデータを差し替えるだけなのだが
全部印刷するには半日近くかかってしまうので
長い時間PCから離れることはできず
傍ら、読書をしながら過ごした1日だった。

キャンベルのMaskを読むには
ちょっと集中できない状況なので^^;
詩的なもの…と思って
迷いがあるとき、苦しい時
嬉しい時、幸せな時
様々な節目に折に触れて読んできた
Kahlil Gibranの「The Prophet (Wordsworth Classics)」を選んだ。
ハリール・ジブラーン(カーリル・ギブラン)の「預言者」は
最初、いくつか邦訳版を読んで
やはり、訳する方によって微妙に雰囲気が変わるので
とうとう英語版のペーパバックまで手を出してしまったくらい(笑)
私にとって、響くもののある詩だった。

その中の「子ども」と「結婚」は
いろいろなサイトなどで取り上げられているようなので
「教えること」を
ご紹介したいと思う。



Then said a teacher, "Speak to us of Teaching."

And he said:

No man can reveal to you aught but that which already lies half asleep in the dawning of our knowledge.
The teacher who walks in the shadow of the temple, among his followers, gives not of his wisdom but rather of his faith and his lovingness.
If he is indeed wise he does not bid you enter the house of wisdom, but rather leads you to the threshold of your own mind.
The astronomer may speak to you of his understanding of space, but he cannot give you his understanding.
The musician may sing to you of the rhythm which is in all space, but he cannot give you the ear which arrests the rhythm nor the voice that echoes it.
And he who is versed in the science of numbers can tell of the regions of weight and measure, but he cannot conduct you thither.
For the vision of one man lends not its wings to another man.
And even as each one of you stands alone in God's knowledge, so must each one of you be alone in his knowledge of God and in his understanding of the earth.

「教えること」は
教える立場の方だけでなく
学ぶ立場の方にとっても
示唆に富んだものだと思う。
いろいろな訳があるのだけれど
私は西田今日子さんが公開して下さっているものが
気に入っているので
そのページにリンクを張らせて頂こうと思う。
http://www.levha.net/gibran/on_teaching.html

The Prophet (Wordsworth Classics)

よく生きる智慧~完全新訳版『預言者』

預言者 ポケット版

ハリール・ジブラーンの詩 (角川文庫)

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June 19, 2009

単純な脳、複雑な「私」

休み時間に立ち寄った書店で
平積みになっていた単純な脳、複雑な「私」
を買ってみた。

単純な脳、複雑な「私」

著者が母校の後輩である高校生たちに行った講義をまとめた本だが
これが素晴らしく面白かった。
その講義を傍聴しているような気分になりながら
口語で平易に解説される最前線の脳科学に触れていくと
単に「へえ~っ」という驚きだけではなく
自分も含めた、人間…というより
ありとあらゆる生命というものの眺めが変わる。
感嘆でもあり、ある意味では怖くもあり、深遠でもあり
そして、生きるという営みが更にいとおしくも思えるような
読み進めるほどに訪れる万華鏡のような印象。

一方でキャンベルを読みながら
この本を併読しているのも
何だか妙な取り合わせのようでいて
でも、私の中ではそれが不思議としっくり馴染む。

この本に関する内田樹氏のレビューがまた印象的だった。

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June 06, 2009

Clarissa Pinkola Estés 2

【読書】
先日の、クラリッサ・ピンコラ・エステス(Clarissa Pinkola Estés)の書籍を購入。
重たいから^^;通勤のお供には厳しそうだが
エステスの道案内でおとぎ話や神話を、こうして改めて眺めなおしてみると
女性として生きる中で
知らず知らずのうちに、自分自身にはめていた枷に気付かされたりもするし
そこから学べることがもっともっとあるようにも思え
更に、女性の生に焦点を向けたこの本だけでなく
Joseph Campbellの著書にも触れてみたいという気がしてくる。
「真理は一つ。しかし賢者たちはそれを多くの名で呼ぶ」という
リグ・ヴェーダの格言があるが
こうした神話や物語に触れなおしてみることもまた
メタファーを用いてそこに表された真理に
触れていくことなのかもしれない。

取り上げられた物語の中には
バレエの映画でもお馴染みの「赤い靴」も出てくるが
ここでは、印象に残った部分でもあり
そして、私をこの本に誘った言葉の載っていた章から
一部を抜粋させて頂こうと思う。

第7章 喜ばしい身体―野生の肉体(270p/278p)より

 本能的な心にとって身体は、センサー、情報網、無数の通信系―心臓血管系、呼吸器系、骨格系、自律神経系ならびに情緒系、直感系―を備えたメッセンジャーです。心象の世界では、身体は強靭な乗り物、私たちとともに生きる霊、それ自体独立した生命の祈りです。おとぎ話では、超人的な特性や能力を持つ魔術的な物象に擬人化されるように、身体は二対の耳、俗世界で聞く耳と魂の声を聞く耳、また二対の眼、ふつうに見る眼と先を見る眼、二種類の強さ、筋肉の強さと魂の無敵の強さを持つ、とされています。身体に関する二つずつのリストはまだまだ続きます。
 フェルデンクライス法、アーユルヴェーダその他、さまざまなボディワークの方式において、表現は異なるものの、身体は五感でなく六感をもつ、と理解されています。身体は皮膚とその下にある筋膜と肉を周囲で起きることをすべて記録するために用います。ロゼッタ石と同様、解読のしかたを知っている人にとって、身体は与えられた生命、奪われた生命、望まれた生命、癒された生命の生きた記録です。瞬間の反応を記録し、深く感じ、先を感知する明瞭な能力がある、と評されています。
 身体は多言語をあやつる存在です。色や温度をとおして、認識のひらめき、燃え上がる恋、苦痛の名残、興奮の熱、不信の冷たさ、を語ります。ときには揺れ、ときにはがたがた震え、ときにはぶるぶる震え、というように絶えず小刻みに踊って語ります。心臓の動悸をとおして、意気沮喪を、抉られたこころを、そして湧いてくる望みを語ります。
 身体は記憶しています。骨が、関節が、小指さえもが記憶しています。記憶は細胞そのものの中に像や感覚となって宿されているのです。水をたっぷり吸ったスポンジのように、どこの肉を圧しても、ねじっても、軽く触れただけでも、記憶がほとばしり出るでしょう。

--------中略-----------

 魔法のじゅうたんばかりか、身体を表すシンボルは他にもいろいろあります。とくにある物語は三つのシンボルを示しています。このお話はファーター・ケリーから聞きました。『魔法のじゅうたんのお話』という題です。そこではサルタンが三人兄弟に「地上でいちばんすてきなもの」を探しに行かせます。最上の宝物をみつけた息子が王国をそっくり受け継ぐのです。一人は望みのものが見える象牙の杖をみつけて帰ります。もう一人はどんな傷でも匂いを嗅げば治せるりんごをもち帰ります。三番目はただ行きたい場所を思い浮かべるだけでそこへ運んでくれる魔法のじゅうたんをもち帰ります。
 「さて、どれがいちばんいいのかな?」とサルタンは訊ねます。「遠くを見る能力か、癒す能力か、それとも空飛ぶ能力か?」
 三人は順番に自分がみつけたものを自慢します。それでも、サルタンは最後に手を振って言い渡します。「どれも優劣つけがたいのう。どれか一つが欠けても他は役に立たぬ」。そこで王国は三人兄弟に等分に与えられました。
 この物語にこめられているのは、身体が真に生き生きとしていることはどんなことかを想起させてくれるような力強いイメージです。このお話(似かよった他の話も)は直感、洞察、感覚による癒しのすばらしい力と、身体に隠された喜びとを描いています。(※注)わたしたちは身体のことを、わたしたちの手を借りずともそれなりの機能を果たす「他者」でもあり、もしそれを正しく「処遇」すれば、わたしたちを「いい気分」にしてくれるもの、と考えがちです。多くの人は身体をまるで奴隷のように扱うか、場合によっては大事に扱っても自分の望みや気まぐれに応じて動け、とやはり奴隷並みに命令するか、です。
 魂が身体に情報を与える、という人がいます。でも、もしほんの一瞬でも、身体が魂に情報を与え、日常生活に適応するのを助け、記述し、翻訳し、余白を残し、インクやペンなど、魂がわたしたちの生に書き込むのに使うものを与えるのだ、と想像してみたらどうでしょうか?たとえば姿を変えるおとぎ話のように、身体そのものが神であり、教師、資格のあるガイドだとしたらどうなるでしょう?教えてくれることをたくさんもっているこの教師を一生かけていじめるのは賢いことでしょうか?他の人にわたしたちの身体を蹂躙させ、批判させ、不足していると思わせたまま一生暮らしたいでしょうか?わたしたちは常路線に反駁し、力強く神聖な存在としての身体の声に深く、心底聴き入ることができるほど強いでしょうか?
 身体を単なる彫像とみなす、私たちの文化の考えは間違っています。身体の目的は、内部の精神と魂を守り、包み、支え、燃え立たせること、記憶の貯蔵庫になること、わたしたちを感情で満たすこと―これが、至高の魂の栄養です。わたしたちを高め、推進させること、わたしたちがこの世に存在することを証明するための感情で満たしてくれること、わたしたちに地盤を、重さを与えることです。身体をわたしたちが精神の高みへと飛翔するために残していく場所のように考えるのはまちがいです。身体はそのような体験の発射台なのです。身体がなかったら、境界を越えるざわめきもなく、飛翔、高み、無重力の感覚もありません。すべては身体から発します。身体はロケット発射台で、そのノーズ・カプセルの中で、魂は窓越しに神秘的な夜空を眺め、めくるめく感動を味わうのです。

※セロトニンのように証明されているものもありますが、身体の中には自然物質が存在している、そのおかげで幸福の感覚、さらには喜びの感情とすら呼ばれるものが引き起こされるようです。伝統的にこれらの状態は、祈りや瞑想、洞察、直感を用いること、陶酔状態、ダンス、ある種の肉体的な行動、歌、魂の深い一状態によって近づくことができます。

狼と駈ける女たち―「野性の女」元型の神話と物語
クラリッサ・ピンコラ・エステス 原真佐子, 植松みどり 訳 新潮社


【スクール・リスト】
また2週間くらい空いてしまったけれど^^;
スクールリストを更新。


【Laurent Choukroun】
Laurent Choukrounの検索ワードでのアクセスが多いようなのでご参考までに。
一時、在庫が少なくなっていたが
DANCEBOOKS(UK)には、現在最新版を含め
いろいろと取り扱いがあるようだ。

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June 03, 2009

Clarissa Pinkola Estés

【読書】
先日、読んでいた本の中で
クラリッサ・ピンコラ・エステス(Clarissa Pinkola Estés)
という名前を目にした。
ユング派の精神分析医でもあり、詩人、臨床心理学、異文化間研究の専門家と
様々な顔をもつエステスが著した
狼と駈ける女たち―「野性の女」元型の神話と物語
実は、その前日のお昼休みに古書店でぱらっとめくったばかりで、
でも、余り時間が無かったので
そのまま買わずに書店を出てしまっていたのだが、
気になってちょっと調べるうちに、そのエステスの
「からだがなければ、境界を越えるざわめきもない」
という言葉に触れて、
やはりどうしても読んでみたいと思っていたところだったので
まさか、自分が今読んでいる本に
その名前が出てくるとは。
すでに、絶版となっている本なのだが
何だか本に呼ばれた気がするので(笑)
やはり買ってみようかと思う。

狼と駈ける女たち―「野性の女」元型の神話と物語

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May 02, 2009

Ballet:Lesson Notes #57

【CoolBallet】
前日、印刷物を作る仕事をしていて
少々寝不足気味だったところに
電車も座れてしまい
若干傾き気味の妙な姿勢で寝てしまったせいか
乗換駅で降りたら、何だか左側の首から背中にかけてが張っている
軽く寝違えた感じ?(^^;)

案の定、フロアでのリラクゼーションが始まってほどなく
左側に引っ張られるように頭がそちらへ転がり始める。
あー、カウンターストレインよろしく
張っているほうを一度めいっぱい縮めようとしているんだなーと思った。
腕も、いつもとは反対に左側から動きが生じ始め
肩関節やら肩甲骨を解そうとするような複雑な動きを
幾度と無く繰り返していた。
そのまま、また開脚でのストレッチのようになったり
何やら体幹を大きく捻るような感じになったり
自分がどこを伸ばしたいのかが
出てくる動きからもはっきり感じられた(笑)

立ち上がってからは
今日は割りとクラシック・バレエの基本的な動きが
随所に出てきて
パッセ・バランスだったり
エカルテのデブロッペだったりアラベスク・パンシェだったり。
曲調に合わせて、何やらピケで回りたいような感じも沸いてきたり
さすがにどこかでブレーキをかけているのか^^;
ピケこそしなかったが、
ピルエット・アンドゥオールはしていた。
この間、ずっと目は閉じている訳で
当然、スポットをつけたりはしていないのだが
むしろ普段よりスムーズに首がついているような気もしたし^^;
プレパレーションの時の身体のまとまり方が
いつもよりタイトになってもいたようで
面白いものだなと思った。

数十分くらいそうして動き続けて
跳んだり跳ねたりは一切していないのに
結構汗をかいていたし
身体もかなりアップしたようだ。
程ほどのところで先生が声をかけられて
前は、それでフッといつもの自分に着地するように
動きもスッと止まったのが
何だか今日はすぐに止まらない^^;
ちょっと時間をかけて
いつもの意識にシフトしていくような感じだった。

最後にポール・ド・ブラ中心のインプロを少し踊って
レッスン終了。

【読書】
このところキャロライン・メイスの2冊の本をずっと読んでいる。

7つのチャクラ -魂を生きる階段(Anatomy of The SPIRIT)
チャクラで生きる -魂の新たなレベルへの第1歩(Why People Don't Heal and How They Can)
7つのチャクラ (サンマーク文庫) (サンマーク文庫) チャクラで生きる -魂の新たなレベルへの第一歩- (サンマーク文庫)
直感医療やエネルギーワークそのものをどう受け止めようとも
「癒し」「癒される」ということを
冷静に眺める彼女の視座から学ぶ事はとても多いように思う。
例えば「チャクラで生きる」には「傷の言語」という章があるが

メアリーの一件の翌日にこの女性に出会ったのは偶然ではなかった。私は「どういうふうにすれば、自分を癒せると考えているのか。」というテーマに注目するように導かれていたのだと思う。つまり、セラピーやサポート・グループを通しての癒しについてだ。そういった場では自分を癒す「過程」にある人たちが、同時にそこに引っかかってしまっていることがみてとれた。過去のひどい体験やトラウマに何らかの意味を与えようと勇気を奮い起こして傷に直面し、同じ傷を持つ人々に対して、思いやりのある理解を示そうとしている。だが、何故か彼らは癒されていない。自分の人生の中心に傷をおき、また、その傷を受け入れるという過程を中心にしてしまっているのである。傷を乗り越えようと努力しておらず、傷に引っかかってしまっているのだ。

中略

「傷の言語」はフィンドボーン以外の場所でも使われている事にすぐ気付かされた。世界中の人々が、自己表現の持つ治癒的な価値と、自分の傷を使って他人を操る免罪符とを混同しているのだ。傷を見つめ、それをさらけ出すことを癒しの初期段階とみるかわりに、自分の傷を国旗のように掲げ、サポートグループなどを家族、国家として使っているのである。

こうした「傷の言語」に触れる度に
「何かが違う」と感じてきた違和感や
その問題点をとてもクリアにしてくれる。

心と身体を解放するために
自らの過去に触れ、気付いていく事
あるいは何らかの形でそれを表出していくことは
過程においては確かに必要なことかもしれない
けれど、それを通過させていくのでなく
そこに囚われ、ある種の依存状態になったり
それをエクスキューズにしていては
今を生きる自分の根本的な解放にはならないのだろうし
せっかくの気付きも癒しのプロセスではなく
甘えの温床になって
自らをそこに停滞させていってしまう。

関連して、行動科学研究所のメルマガのバックナンバーに
このような記事もあった。
http://e-ibs.co.jp/library/yji/23.html

「自分の課題を自分自身で引き受けていける強さを持った時に、相手とも
成熟した関係を創っていけるのです。」

それが、身体的なものであれ精神的なものであれ
自分の心身に何らかの好ましくない影響を与えているものに
気付きや学びや解放を導いてくれたり
その過程をある程度寛容に受け止めてくれる
場や機会や関係性というものは居心地の良いものだ。
けれど、それが無ければ立っていられない
あるいは健やかでいられないでは
やはり、本当の意味でそれらとの豊かな関わりには
なり得ないだろうとも思う。

一人で立つということは孤独とは違う。
その場が無くても、その機会が無くても
その人がいなくても、それが無くても
立ってはいられる
でも、その関わりがあるから
心豊かになり、学びがあり、高めあう事で支え合うことができたり
だから「選択」してその関わりを持つ。
寄りかかるのではなく、
ある距離を保って寄り添う。

物事にしても、人にしても
そういうスタンスで向き合っていきたいものだと
改めて思った。

【レッスン】

CoolBalletのレッスンでも、
僅か数回深呼吸するくらいの
極めて短い時間のうちに
かなりリラックスした状態にシフトしていくようになってきている昨今で
それはそれで良いことなのだが
その後のメニューが
そのリラックスの中で生じる動きに委ねていくCoolBalletのレッスンと
与えられたメニューに沿って動いていくクラスレッスンでは違うので
どの程度のリラックスや、意識の状態に自分を整えていくか
その匙加減はやはり必要だと
前回、バーレッスン前のエクササイズで
まったりし過ぎてしまったことからも感じたので^^;
今回はひとつひとつのメニューを少しあっさり目に切り上げたり
呼吸も、自分に一番深いリラックスをもたらすような方法をあえて避け
程ほどの深さ、リズムで
その後のバーレッスンに支障が無い程度のリラクゼーションになるように努めてみた。
の、せいか
前回同様少々寝不足気味でも
今日はボーっとしてくることも無かった。

センターで眠りの赤ずきんみたいな
ポアントでのシャッセを含む
可愛らしい感じのアンシェヌマンが久々に出てきた。
どうも、こういう可愛い動きというのは
「可愛くなくてすみませーん^^;」という気分にはなってしまうのだが(爆)
動きの質としては案外好きな方かもしれない。

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March 14, 2009

Ballet:Lesson Notes #46

【レッスン】

先日のセッション後、日常生活の中ではもちろん
今日のレッスンではより顕著に足指のひとつひとつの感覚が
よりクリアに、生き生きとして感じられた。

足の小さな関節が、ひとつひとつ充分に機能しているということは
床に触れる感触や、自分自身の体重のかかり具合など
様々な情報を捉えるセンサーが
より豊かに働くということなのだなと実感もし
その内的な感覚は、床との関わりを通じて
環境とも繋がり、広がっていくんだなと思ったりもした。

怪我のこともあるだろうけれど
小川先生があれだけ丹念に足部のリリースをなさった理由が
何となく判るような気がした。

バーレッスン、そしてポアントは今日はやめておいて
センターではアダージオといくつかジャンプの伴わないアンシェヌマン
あるいは、適宜、脚に負担のかからないパに置き換えて
あとは見学したり、
参加できないアンシェヌマンは教室の隅でマーキング程度に
体幹やアームスの動きだけをなぞりながら
控えめに終えた。
見学している間は、小川先生の宿題^^;を繰り返してみたりもして
それなりに有効活用(笑)

【Laurent ChoukrounのCD】

今週半ばにCDが届いて
ここ暫くは自宅で聴いたり
気に入った曲をまた携帯でも楽しんだり。
Vol14は現在シルビアでも取り扱っているみたいだけれど
その最新版より、合わせて取り寄せたVol11の方に
いいなと思う曲が多かった。
Vol11はCOPY付きのものをオーダーしたので
1枚はお教室に進呈させて頂いた。
(COPYといっても、ちゃんとした製品・・・
つまり、ディスクもケースもライナーノーツも含め、全く同じものが2枚)
来週からのレッスンで使っていただけるのが楽しみだ。

【本】

先日、健康ジャーナル社さんが
過日出版された中川三千代先生著の
サイトで紹介して欲しいとのことで
バレエダンサーをめざす人へ
バレエダンサーをめざす人へ
という本を送ってくださった。
タイトルの通り、「プロをめざす」生徒さん向けの内容だが
テクニック的なことはもちろん、
摂食障害や無月経といった健康上の問題
安易な留学が招いた現実
コンクールへの疑問など、実例をあげながらの
日本のバレエ教育への
手厳しい提言とも言えるかもしれない。

おそらくは、それによって起こるかもしれない反発も見込まれながら
綴られた言葉に、受け止める想いは様々にあると思う。
けれども、その背景にあるのは
バレエを愛すればこその憂いでもあるのだろうし
あるいは、何かしらの抵抗を覚える側にも
この日本のバレエの世界の様々な事情の中で
懸命に向き合ってきた、生徒、教師、親、それぞれの愛があるだろう。

頭ごなしの否定でもなく、
いたずらな不信感や、混乱や反発でもなく
バレエに関わる様々な立場の方が
耳を傾け、今一度考えてみることから
何かが始まり、何かが変わる
そのための布石として
この本を送り出されたのではないか
そんな風に感じた。

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February 21, 2009

Ballet:Lesson Notes #42

【CoolBallet】
2週間ぶりにCoolBalletのレッスンへ。
リラクゼーションの時間に出てくる動きは
前回よりさらに大きく、広範囲になっきて
その動きを見守っていると
自分の身体がどこをどう伸ばしたがっているのかが感じられて面白いし
最後には仰向けからうつ伏せに体勢が変わったり
大きく脚をストレッチするような動きが出てきたり。
野口整体でいうところの「活元運動」みたいなものかもしれないが
多分、自分のどこかに
そんな風に無意識的な動きが大きく出てきたりするものだろうか
という思いも、これまで根強くあったのかもしれない。
でも、それを無意識なのか、どこかで意識的に動かしているのか
どういう類の現象なのか
そんなことを今自分の中で分析する必要もないのかもしれないし
その現象を頭で理解しようとする事自体を
まずは手放して、委ねてみることが
今の私には必要なのかもしれない…
そんな風にふっと感じられたら
何か自分の中でせき止められていたものが流れ出した。
それと時を同じくして、かかっている音楽が変わり
その響きがとても気持ちよくて
その気持ちよさを体現するように動きたくなった。
後に、先生が「途中から踊ってましたよ(笑)」と仰っていらしたが
確かに仰向けの状態のままではあったけれど
心も身体も踊っていたように思う。
先生が、「そのうち、起き上がって動き(踊り)出しますよ。」と
仰っていらしたが、自分でもそんな気がする(笑)
そういうのを「胡散臭い」と引く方もいらっしゃるだろうが^^;
それが意識的であろうとなかろうと
何かに囚われずに、即興的な動きを自分に赦していくことは
踊るということの原点に触れ
まるで、身体が心を、心が身体を知るように
解放できなかった何かを解放できて
これまで自分の中でシャットダウンされていた
違うかたちの心と身体の絆を見出したような
とても新鮮な体験だったし
それがこれからの自分自身のあり方や、動きに
次第に変化をもたらしてくれるようにも思う。

【読書】
先日、自宅の最寄り駅近くの書店で見付けた本。
医師が教える 自然療法症状別セルフケアバイブル

医師が教える 自然療法症状別セルフケアバイブル

メディカルハーブ、アロマテラピー、ホメオパシー、フラワーエッセンスの
4つの自然療法の基礎知識と
症状別の各療法のレシピが豊富に紹介されていて
気になる症状がある時に、その症状から
どういう療法があるか、何が適しているかを
まとめて知る事ができてとても便利な一冊。

著者の中村裕恵さんのブログはこちら


【PC】
常時安全セキュリティ24という
ニフティから提供されているセキュリティ・ソフトのアップデートの不具合があって
カスタマーサービスデスクに問い合わせ、診断してもらった所
推奨するパソコンの動作環境ではメモリ容量が
256MB以上(512MB以上を推奨)なので増設を検討してくれということと^^;
以前インストールされていた「Norton AntiVirus 2002」のプログラム、
またはレジストリ情報が削除されずに残っている可能性があるので
プログラムやレジストリ情報を完全に削除する必要があるというご返答を頂いた。

できればレジストリなんていじりたくなかったが^^;
Nortonは削除後残っていたプログラムやレジストリ情報を恐る恐る手動削除。
メモリはこれまでも256MBでは不足を感じる事も少なくは無かったのだが
PC133 SDRAMという、旧世代仕様のメモリって結構高かったりして
PCの寿命を考えると今更投資するのもなんだかな~と
つい二の足を踏んでしまっていた。
でも、PCを買い換えるといろいろソフトも買い換えなきゃならないし
やはり、あと数年はこのマシンに頑張ってもらうしかないので
BUFFALO VB133-256Mを2つ取り寄せて
今更のように、再びメモリの増設^^;
前回メモリ増設したのはXPにアップグレードする際だったと思うから
かなり久々にPC本体のカバーを開けたら
うわーっ;;;結構埃だらけ(汗)
…で、またまた恐る恐るお掃除。

デスクトップで、空洞部分は多いのに
メモリスロットの周辺にいろいろケーブルがあって
特に2個のうち奥にあるひとつは取り付け難かったが
何とか無事に取り付け完了。
ついでに、これまた今更のように^^;
Glary Utilitiesというフリーの統合メンテナンスソフトも導入。

それでも、まだ「共有レジストリの設定に失敗しました」とやらで
インストールができなかったので(TT)
もう、この際ダメもとでと(無謀;;;)
またまたレジストリエディターで
セキュリティ24に関係したホルダのアクセス権を若干調整して再試行したところ
やっと無事にインストールが完了して
最新版を使用できるようになった。やれやれ。

アクセス権についての基本は
http://www.windows-world.jp/special/-/25881.html
の記事が参考になった。

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February 18, 2009

Ballet:Lesson Notes #41

【レッスン】
仕事帰りのレッスンの日、1日の疲れは身体にも神経にも出ているのだけど
何だかとても静かな気持ちというか、
心にも身体にもざわつきの少ないような感覚が妙に新鮮だった。
頭と神経を使い果たして^^;
ちょっとボーっとしたくらいの意識なんだけど
芯の所は程ほどに冴えてるような感じで、
ぼやけ気味の視界とまったりめな意識の中で
何故か週末絵を描いていたときにビジュアライズしていたものが
ずーっと自分の中で浮かんでは消え、浮かんでは消えしていて
と、いってそのイメージのように動こうとかいうのでもなく
ただ、どこかで感じているだけで
どこか淡々と身体に動きを委ねているようでもあった。

先生が、
「今日はずいぶんお行儀の良い身体ですね(笑)
一日良い事やってきましたっていうみたいな。」と
これまたユニークな表現をなさっていらしたが(笑)
確かに、自分の中でジタバタするものがない
シンプルな居方になっているのは感じられて
疲れと視界とのダブルの「ボーッ」とした世界の中で
余計な意識が働かずにいるところに
描く事でビジュアライズされた何かが
身体をそういう状態に導いたのだろうか^^;

縦軸の繋がりに
複雑に交差する身体全体の
様々な方向性を持ったムーヴメントの調和するところ
それを朧気に感じながら
そこから突出しようとする何かは
どういうところから、その顔を出そうとするのだろうと
意識のどこかで眺めながら動いていくと
あ、こんなところにもまだ削ぎ落とせる何かがあると
新たに気付く事も多かった。

意識がでしゃばらない、静かなキャンバスに
ビジュアライズされた何かが
身体を、動きを導く。
それは、まだ自在に自分で呼び起こせるようなものではないようにも思うが
少なくとも、そういう居方ができれば
変わる何かがあるということを確認できたレッスンだった。

【読書】
先日、次女が自分で買った本を
さらっと読めるから、休憩時間にでもどう?と
貸してくれたので読んでみた。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)」という児童向けの文学で
昨年、映画にもなったみたいだが
私は全く予備知識無く、初めて触れた。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

登校拒否になった13歳の少女が
おばあちゃんと過ごす中で成長していく物語だが
おばあちゃんの古風な生き方やその言葉には
とてもシンプルだけど
子どもだけでなく、いや、むしろ大人に、
清々しく、そしてとても大切な
生活・・・生きるという事の基本を
思い出させてくれる。

老いるということ、死ぬという事、
それら全てを含めて生きるという事を
ありのままに受容しながら
自分にとって大切なものを見極め
丁寧に暮らしに向き合いながら
歩んでいく強さと美しさ。
さらっと読んでしまえばどこか淡々としたくらいのストーリーだけれど
むしろ、それが「感じるための余白」を残しているようにも思う。

子どもから大人になるのも成長だが
衰えていく事を受け止めながら生きていく事もまた成長
身体は次第に居心地の良いものでは無くなっていくし
病も怪我もあり
肉体がある故の苦しみもあるのだけれど
でも、身体があるからこそできる豊かな体験は
自分がそれに気付きさえすれば
日常の小さなことの中にも無数に散らばっている。
老いていくことで肉体がそのみずみずしさや
柔軟性を失っていくのだとしても
積み重ねた体験の中で
魂は、よりしなやかな強さで育まれ、潤い
体験の中にある豊かさを捉える感受性も高まっていく
そんな中に「幸せ」はあるのかもしれない。

ハーブの様々な使い方や
にんにくがバラのコンパニオンプランツになるということ
(にんにくは薔薇の香りを高める効果もあるそう)
などなど、自然を活かしたちょっとした生活の知恵にも
物語を通じて触れる事ができる。

印象に残った、おばあちゃんの言葉をひとつ。

「根性という言葉は、やみくもにがんばるって感じがしますね。おばあちゃんのいう精神力っていうのは、正しい方向をきちんとキャッチするアンテナをしっかりと立てて、身体と心がそれをしっかりと受け止めるっていう感じですね。」

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