【CoolBallet】
前日、印刷物を作る仕事をしていて
少々寝不足気味だったところに
電車も座れてしまい
若干傾き気味の妙な姿勢で寝てしまったせいか
乗換駅で降りたら、何だか左側の首から背中にかけてが張っている
軽く寝違えた感じ?(^^;)
案の定、フロアでのリラクゼーションが始まってほどなく
左側に引っ張られるように頭がそちらへ転がり始める。
あー、カウンターストレインよろしく
張っているほうを一度めいっぱい縮めようとしているんだなーと思った。
腕も、いつもとは反対に左側から動きが生じ始め
肩関節やら肩甲骨を解そうとするような複雑な動きを
幾度と無く繰り返していた。
そのまま、また開脚でのストレッチのようになったり
何やら体幹を大きく捻るような感じになったり
自分がどこを伸ばしたいのかが
出てくる動きからもはっきり感じられた(笑)
立ち上がってからは
今日は割りとクラシック・バレエの基本的な動きが
随所に出てきて
パッセ・バランスだったり
エカルテのデブロッペだったりアラベスク・パンシェだったり。
曲調に合わせて、何やらピケで回りたいような感じも沸いてきたり
さすがにどこかでブレーキをかけているのか^^;
ピケこそしなかったが、
ピルエット・アンドゥオールはしていた。
この間、ずっと目は閉じている訳で
当然、スポットをつけたりはしていないのだが
むしろ普段よりスムーズに首がついているような気もしたし^^;
プレパレーションの時の身体のまとまり方が
いつもよりタイトになってもいたようで
面白いものだなと思った。
数十分くらいそうして動き続けて
跳んだり跳ねたりは一切していないのに
結構汗をかいていたし
身体もかなりアップしたようだ。
程ほどのところで先生が声をかけられて
前は、それでフッといつもの自分に着地するように
動きもスッと止まったのが
何だか今日はすぐに止まらない^^;
ちょっと時間をかけて
いつもの意識にシフトしていくような感じだった。
最後にポール・ド・ブラ中心のインプロを少し踊って
レッスン終了。
【読書】
このところキャロライン・メイスの2冊の本をずっと読んでいる。
7つのチャクラ -魂を生きる階段(Anatomy of The SPIRIT)
チャクラで生きる -魂の新たなレベルへの第1歩(Why People Don't Heal and How They Can)

直感医療やエネルギーワークそのものをどう受け止めようとも
「癒し」「癒される」ということを
冷静に眺める彼女の視座から学ぶ事はとても多いように思う。
例えば「チャクラで生きる」には「傷の言語」という章があるが
メアリーの一件の翌日にこの女性に出会ったのは偶然ではなかった。私は「どういうふうにすれば、自分を癒せると考えているのか。」というテーマに注目するように導かれていたのだと思う。つまり、セラピーやサポート・グループを通しての癒しについてだ。そういった場では自分を癒す「過程」にある人たちが、同時にそこに引っかかってしまっていることがみてとれた。過去のひどい体験やトラウマに何らかの意味を与えようと勇気を奮い起こして傷に直面し、同じ傷を持つ人々に対して、思いやりのある理解を示そうとしている。だが、何故か彼らは癒されていない。自分の人生の中心に傷をおき、また、その傷を受け入れるという過程を中心にしてしまっているのである。傷を乗り越えようと努力しておらず、傷に引っかかってしまっているのだ。
中略
「傷の言語」はフィンドボーン以外の場所でも使われている事にすぐ気付かされた。世界中の人々が、自己表現の持つ治癒的な価値と、自分の傷を使って他人を操る免罪符とを混同しているのだ。傷を見つめ、それをさらけ出すことを癒しの初期段階とみるかわりに、自分の傷を国旗のように掲げ、サポートグループなどを家族、国家として使っているのである。
こうした「傷の言語」に触れる度に
「何かが違う」と感じてきた違和感や
その問題点をとてもクリアにしてくれる。
心と身体を解放するために
自らの過去に触れ、気付いていく事
あるいは何らかの形でそれを表出していくことは
過程においては確かに必要なことかもしれない
けれど、それを通過させていくのでなく
そこに囚われ、ある種の依存状態になったり
それをエクスキューズにしていては
今を生きる自分の根本的な解放にはならないのだろうし
せっかくの気付きも癒しのプロセスではなく
甘えの温床になって
自らをそこに停滞させていってしまう。
関連して、行動科学研究所のメルマガのバックナンバーに
このような記事もあった。
http://e-ibs.co.jp/library/yji/23.html
「自分の課題を自分自身で引き受けていける強さを持った時に、相手とも
成熟した関係を創っていけるのです。」
それが、身体的なものであれ精神的なものであれ
自分の心身に何らかの好ましくない影響を与えているものに
気付きや学びや解放を導いてくれたり
その過程をある程度寛容に受け止めてくれる
場や機会や関係性というものは居心地の良いものだ。
けれど、それが無ければ立っていられない
あるいは健やかでいられないでは
やはり、本当の意味でそれらとの豊かな関わりには
なり得ないだろうとも思う。
一人で立つということは孤独とは違う。
その場が無くても、その機会が無くても
その人がいなくても、それが無くても
立ってはいられる
でも、その関わりがあるから
心豊かになり、学びがあり、高めあう事で支え合うことができたり
だから「選択」してその関わりを持つ。
寄りかかるのではなく、
ある距離を保って寄り添う。
物事にしても、人にしても
そういうスタンスで向き合っていきたいものだと
改めて思った。
【レッスン】
CoolBalletのレッスンでも、
僅か数回深呼吸するくらいの
極めて短い時間のうちに
かなりリラックスした状態にシフトしていくようになってきている昨今で
それはそれで良いことなのだが
その後のメニューが
そのリラックスの中で生じる動きに委ねていくCoolBalletのレッスンと
与えられたメニューに沿って動いていくクラスレッスンでは違うので
どの程度のリラックスや、意識の状態に自分を整えていくか
その匙加減はやはり必要だと
前回、バーレッスン前のエクササイズで
まったりし過ぎてしまったことからも感じたので^^;
今回はひとつひとつのメニューを少しあっさり目に切り上げたり
呼吸も、自分に一番深いリラックスをもたらすような方法をあえて避け
程ほどの深さ、リズムで
その後のバーレッスンに支障が無い程度のリラクゼーションになるように努めてみた。
の、せいか
前回同様少々寝不足気味でも
今日はボーっとしてくることも無かった。
センターで眠りの赤ずきんみたいな
ポアントでのシャッセを含む
可愛らしい感じのアンシェヌマンが久々に出てきた。
どうも、こういう可愛い動きというのは
「可愛くなくてすみませーん^^;」という気分にはなってしまうのだが(爆)
動きの質としては案外好きな方かもしれない。