【CoolBallet】
リラクゼーションの時間、
横たわって数呼吸しないうちに、心身が緩み開いてくる。
長谷川先生の声が、ずいぶん深く響いてくるなと
意識のどこかで感じながら
今回真っ先に動き出したのは、何故か涙腺だった。
それほど思い詰めている自覚も無かったので
静かに、でも途切れなく目尻を伝うものが
いったい、どこから湧き上がってくるのかが自分でも不思議だった。
でも、意識やはっきりした感情が引き起こすのではない
身体が自然と放出を望むエネルギーのひとつの表れで
それは、今の私に必要なことだったのだろう。
説明のつかない涙と入れ替わるように
深い呼吸と共に手足の動きが生じ始める。
ゆっくりと、少しずつ身体が引き伸ばされ
体中の関節を目覚めさせ、滑らかにしていくような動きが続き
やがて、自分の中心から放たれるエネルギーと
自分の周りを包んでいる気感の揺らぎの中で調和を保ちながら、
気の旋律に全身が歌うように踊りだした。
気舞って、こういうものなのかなとどこかで感じながら
その心地よさの中で泳ぎ
時折、訪れる内側からの高鳴りに寄り添うように
湧き出しては頬を伝っていくものの感触を感じつつ
寄せては返す波の中に自分を委ねる時間が
いったいどれだけ続いただろうか
放つだけのものを放ち、自然と収束していく動きの中で
何故か、小学校低学年の頃の家族のちょっとした出来事が
昨日のことの様に…というより
今、自分がその場にいるようなリアルさを伴って
自分の中に蘇ってきた。
それは多分、私にとってとてもいとおしい記憶だったのだろう
私の記憶の奥深くに眠っていた家族のぬくもりの原風景を
踊りを通じて手渡され、それを再び抱きしめるような体験が齎すものの力が
今、両親を支える自分のエネルギーとなって
私自身の中で暖かな灯火となったように感じた。
【友人とのひと時】
このところの状況を、よく知っている友人が
心尽くしの手料理でもてなしてくれる機会を設けてくれた。
身体と心に優しい、センスの良さが表れたようなお料理を頂きながら
一皿一皿、サーブされるごとに
労わりと優しさの花束を受け取っているような
暖かな気持ちになった。
父のことも含め、いろいろな話をする中で
その時間まるごとが、友人の暖かなHugのように感じられた。
ありがとう。
その温もりの余韻を纏いながらの帰り道
ギブランの詩が何度も心に浮かんできた。
Khalil Gibran 『The Prophet』より
Friendship
And a youth said, "Speak to us of Friendship."
Your friend is your needs answered.
He is your field which you sow with love and reap with thanksgiving.
And he is your board and your fireside.
For you come to him with your hunger, and you seek him for peace.
When your friend speaks his mind you fear not the "nay" in your own mind, nor do you withhold the "ay."
And when he is silent your heart ceases not to listen to his heart;
For without words, in friendship, all thoughts, all desires, all expectations are born and shared, with joy that is unacclaimed.
When you part from your friend, you grieve not;
For that which you love most in him may be clearer in his absence, as the mountain to the climber is clearer from the plain.
And let there be no purpose in friendship save the deepening of the spirit.
For love that seeks aught but the disclosure of its own mystery is not love but a net cast forth: and only the unprofitable is caught.
And let your best be for your friend.
If he must know the ebb of your tide, let him know its flood also.
For what is your friend that you should seek him with hours to kill?
Seek him always with hours to live.
For it is his to fill your need, but not your emptiness.
And in the sweetness of friendship let there be laughter, and sharing of pleasures.
For in the dew of little things the heart finds its morning and is refreshed.
【父親像】
昨夜、雑念する「からだ」の記事を拝見させて頂いて
http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/132566673.html
http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/132844568.html
あー、本当にそうだなと思った。
人間、自分の「辛い、苦しい、大変だ」ばかりに
目が向きがちであるけれど
自分が見えない部分の相手の時間に
「大変比べ」じゃない視線で、想像力を巡らせてみるだけでも
漏らされる「愚痴」の響き方は
ずいぶん変わってくるように思う。
とはいえ、疲れたり、しんどいと感じた時
別に労いを期待するでもなく
つい、フッとその感じたままが口から滑り出したような瞬間に
間髪いれずに、相手の不快の表明が返ってきたりすると
カチンときたり、あるいは、
「もう、二度とこの人の前で弱音を吐くもんか」と
やはり感じてもしまいがち。
(多分、私は後者のタイプだ^^;)
でも、エネルギーの流れを変えるチャンスは
きっとそういう瞬間にあるのだろう。
「カチン」とか「ムッ!」はとりあえず脇に置いておいて
まず、相手を受容するところから
開かれ、流れ始めていくものが。
そして、やはり家庭の中を巡っているエネルギーが
子どもに与える影響は計り知れないと思う。
子どもにとっての父の存在の仕方というのは
その子が存在している世界の核のような面があるのではないかなと
私は感じている。
多くの時間を過ごす母や周りの大人が、
その振る舞いや言葉で表す父親像
子どもはそのフィルターを通して
自分の中の父親像を描いていく。
それが、仮に何らかの理由で存在していなかったにしても
どういう像を、その核に結べるかによって
安定もし、あるいは揺らぎもするのだろうと。
【視読?】
読書速度の計測ができるサイトがあり
http://www.zynas.co.jp/genius/sokudoku/sokutei.html
ためしにやってみた。

速読の訓練をしたことは無いが
そこに出てきた「視読」という言葉に触れて
ちょっとそれを調べてみたり
改めて、自分がどのように読書をしているかについて考えてみた。
多分、自分の中でも無意識のうちに
その使い分けが行われていて
味わって読もうと思うような時には
頭の中で音声化し、文字をひとつずつなぞっていくという音読(なぞり読み)
そこから情報を得ようと思っているような時には
やはり、ある程度まとまった文章をイメージとして捉えているような気がする。
視読は、声帯を使用しないで文章を読むということだそうだが
そう言われてみると、確かに後者の読み方をしている時は
喉は解放されているように感じられる。
多分、文字を見る見方も
アイ・ボディでいうところのフォーカス視ではなくパノラマ視的な感じ…
像を後頭部で結ぶような感じかもしれない。
読書をする時に声帯を使っている(働いている?)とは
面白いものだ。
