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December 14, 2009

Endless Blue Sky

季節を先送りしたかのように麗らかな日、父も無事退院。
久しぶりにパジャマ姿ではない父と共に目にした
これが見納めの病室からの眺めも
果てしなく続く青空が美しかった。

Ca3c04290002

父と母を実家に送り、帰宅した頃に
この一月以上、暖かく繊細な心遣いで支えてくれた友人から
絶妙のタイミングで退院祝いのメールが届いた。

感謝の想いに包まれながら過ごす時間の中で
偶然、ルネ・ラリックのジュエリーのように
美しい羽を広げたルビー色の蜻蛉のジャケットの
Kevin KernEndless Blue Sky
というアルバムに出合い
それを表すのに相応しい音楽であるような気がしたので
友人と自分とに1枚ずつ取り寄せて
新しい時間を清らかでリリカルな音色と共に
分かち合いたいと思った。

Endless Blue Sky

You Tubeにもこのアルバムを美しい写真と共に編集した映像があるので
ここでもSharingさせて頂こうと思う。

1日経って、やっといつもの日常が戻ってきた実感があるが
その眺めは、一ヶ月前とずいぶん違って感じられる。
父のことももちろんだけれど
それに向き合うプロセスを通じて
自分を取り巻く様々なことへの眼差しもまた
少しずつ変化しているのだろう。

もし 汝が注意深く
意識を明晰にしていれば
瞬時瞬時、己の行動に対する答えを知るだろう
素直なこころを持つ者は 注意深くあれ
なぜなら 汝の行動のひとつひとつの結果として
何かが汝に生まれるからだ

Mevlana Jalalu'ddin Rumiの言葉に触れながら
静かに過ぎていく冬の日
春には初根し、新たな株を増やせることを祈りつつ
アンナ・パヴロバをさし木した。

Ca3c0430

月曜日は1週間ぶりのクラスレッスンに。
当面は仕事も忙しい時期なので
スローペースを維持しながらになると思うが
少しずつ身体を目覚めさせていくひと時が心地よかった。

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November 22, 2009

Prayer

凍みるような月の光が
心を貫くように感じられる晩
その美しさが、むしろ切ない。

今、持つべき時間を可能な限り持ち
その中で出来る限りのことをしつつ、
家族や友に支えられながら過ぎていく日々の中で
その殆どの時間は、穏やかな心をとりあえず保っていても
どこかで揺れ続けるものがあるのだろう。
ここ数日、夜になるとお腹を壊す。
以前、こういう傾向が出たのは
夫が交通事故に遭って入院した頃だったろうか。
つまり、それはサイトを始めた頃で
そういえば、こんな感じだったなと思い出した。
強いストレスがあると腸の不調として出やすいタイプで
身体は正直だなと思う。

それでも、今は
奮い立たせてでも、気持ちを前に向ける強さが
やはり、必要なのだろう。

暫く、レッスンにも行っていないけれど
ちょっと息苦しさを感じたときは
身体と心が求めるだけの軽いバーレッスンをする。
それが、何より無心になれるひと時で
いろいろな「重さ」が抜けていくから。
そして、それが、今の私にとって
祈りのようなものなのだと思う。

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November 19, 2009

冬の輪郭線

冬の輪郭線がそのシャープな軌跡を五感に描きはじめる。
躍る様な光が溢れ、でも風の冷たさが身を引き締めるような午後、
出かける前に覗いたポストに一通の葉書が届いていた。

その年賀欠礼状の差出人は、タイで一緒に踊っていた方の夫君で
てっきり、いずれかのご両親にご不幸があったのかと文章を読んでみて愕然とした。
亡くなったのは友人で、それも先月のこと。
遠くにお住まいなので、帰国してからお会いする機会は無かったが
年賀状のやり取りだけは欠かさず
お互いにその年のバレエについての話などを伝え合ってきたのに…
同じ時を共有した友が、また一人天に召されてしまったことに
少なからず動揺を抱えながら電車に乗った。

いろいろと慌ただしい昨今だけれど
その日の行く先が、家族のような温もりで包んでくれる友人宅であったことが
救いのようにも感じられた。
父のためにと取り寄せて下さったものの受け取りを兼ねて
遅めのランチをご一緒させて頂いたそのひとときの中で
陽だまりの穏やかな安らぎを感じつつ過ごすうちに
どこかザワザワとしたものが消えていった。

このところの流れの中で
授かった慈愛を、いつかその友人や必要とする誰かに
注げるような私でありたいと、自然と心が動くような
友人の懐の深さの源にも触れ
全ての出来事やご縁は、やはり学びなのだと感じる。
そして、授かるだけでなく
無意識のうちに、私もその日その友人に必要なものを
ささやかながら届けていたようだと思わせるような出来事もあり
虚飾も濁りも無い関係性の中で行き交うエネルギーは
自然と循環しながら補完し合い、連鎖し、そしてその間で滞ることなく流れ出し
広がっていくものなのかもしれないなと感じた。

夕暮れ時の透明なグラデーションが広がる空に
共に目にしたものの輝きと軌跡の美しさを
きっと、生涯忘れることは無いだろうと思う。

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November 15, 2009

Ballet:Lesson Notes #100

【CoolBallet】
リラクゼーションの時間、
横たわって数呼吸しないうちに、心身が緩み開いてくる。
長谷川先生の声が、ずいぶん深く響いてくるなと
意識のどこかで感じながら
今回真っ先に動き出したのは、何故か涙腺だった。
それほど思い詰めている自覚も無かったので
静かに、でも途切れなく目尻を伝うものが
いったい、どこから湧き上がってくるのかが自分でも不思議だった。
でも、意識やはっきりした感情が引き起こすのではない
身体が自然と放出を望むエネルギーのひとつの表れで
それは、今の私に必要なことだったのだろう。

説明のつかない涙と入れ替わるように
深い呼吸と共に手足の動きが生じ始める。
ゆっくりと、少しずつ身体が引き伸ばされ
体中の関節を目覚めさせ、滑らかにしていくような動きが続き
やがて、自分の中心から放たれるエネルギーと
自分の周りを包んでいる気感の揺らぎの中で調和を保ちながら、
気の旋律に全身が歌うように踊りだした。
気舞って、こういうものなのかなとどこかで感じながら
その心地よさの中で泳ぎ
時折、訪れる内側からの高鳴りに寄り添うように
湧き出しては頬を伝っていくものの感触を感じつつ
寄せては返す波の中に自分を委ねる時間が
いったいどれだけ続いただろうか
放つだけのものを放ち、自然と収束していく動きの中で
何故か、小学校低学年の頃の家族のちょっとした出来事が
昨日のことの様に…というより
今、自分がその場にいるようなリアルさを伴って
自分の中に蘇ってきた。

それは多分、私にとってとてもいとおしい記憶だったのだろう
私の記憶の奥深くに眠っていた家族のぬくもりの原風景を
踊りを通じて手渡され、それを再び抱きしめるような体験が齎すものの力が
今、両親を支える自分のエネルギーとなって
私自身の中で暖かな灯火となったように感じた。

【友人とのひと時】

このところの状況を、よく知っている友人が
心尽くしの手料理でもてなしてくれる機会を設けてくれた。
身体と心に優しい、センスの良さが表れたようなお料理を頂きながら
一皿一皿、サーブされるごとに
労わりと優しさの花束を受け取っているような
暖かな気持ちになった。
父のことも含め、いろいろな話をする中で
その時間まるごとが、友人の暖かなHugのように感じられた。
ありがとう。

その温もりの余韻を纏いながらの帰り道
ギブランの詩が何度も心に浮かんできた。

Khalil Gibran 『The Prophet』より

Friendship

And a youth said, "Speak to us of Friendship."
Your friend is your needs answered.
He is your field which you sow with love and reap with thanksgiving.
And he is your board and your fireside.
For you come to him with your hunger, and you seek him for peace.
When your friend speaks his mind you fear not the "nay" in your own mind, nor do you withhold the "ay."
And when he is silent your heart ceases not to listen to his heart;
For without words, in friendship, all thoughts, all desires, all expectations are born and shared, with joy that is unacclaimed.
When you part from your friend, you grieve not;
For that which you love most in him may be clearer in his absence, as the mountain to the climber is clearer from the plain.
And let there be no purpose in friendship save the deepening of the spirit.
For love that seeks aught but the disclosure of its own mystery is not love but a net cast forth: and only the unprofitable is caught.
And let your best be for your friend.
If he must know the ebb of your tide, let him know its flood also.
For what is your friend that you should seek him with hours to kill?
Seek him always with hours to live.
For it is his to fill your need, but not your emptiness.
And in the sweetness of friendship let there be laughter, and sharing of pleasures.
For in the dew of little things the heart finds its morning and is refreshed.

【父親像】

昨夜、雑念する「からだ」の記事を拝見させて頂いて
http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/132566673.html
http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/132844568.html
あー、本当にそうだなと思った。

人間、自分の「辛い、苦しい、大変だ」ばかりに
目が向きがちであるけれど
自分が見えない部分の相手の時間に
「大変比べ」じゃない視線で、想像力を巡らせてみるだけでも
漏らされる「愚痴」の響き方は
ずいぶん変わってくるように思う。

とはいえ、疲れたり、しんどいと感じた時
別に労いを期待するでもなく
つい、フッとその感じたままが口から滑り出したような瞬間に
間髪いれずに、相手の不快の表明が返ってきたりすると
カチンときたり、あるいは、
「もう、二度とこの人の前で弱音を吐くもんか」と
やはり感じてもしまいがち。
(多分、私は後者のタイプだ^^;)

でも、エネルギーの流れを変えるチャンスは
きっとそういう瞬間にあるのだろう。
「カチン」とか「ムッ!」はとりあえず脇に置いておいて
まず、相手を受容するところから
開かれ、流れ始めていくものが。

そして、やはり家庭の中を巡っているエネルギーが
子どもに与える影響は計り知れないと思う。
子どもにとっての父の存在の仕方というのは
その子が存在している世界の核のような面があるのではないかなと
私は感じている。
多くの時間を過ごす母や周りの大人が、
その振る舞いや言葉で表す父親像
子どもはそのフィルターを通して
自分の中の父親像を描いていく。
それが、仮に何らかの理由で存在していなかったにしても
どういう像を、その核に結べるかによって
安定もし、あるいは揺らぎもするのだろうと。

【視読?】

読書速度の計測ができるサイトがあり
http://www.zynas.co.jp/genius/sokudoku/sokutei.html
ためしにやってみた。

Readingspeed

速読の訓練をしたことは無いが
そこに出てきた「視読」という言葉に触れて
ちょっとそれを調べてみたり
改めて、自分がどのように読書をしているかについて考えてみた。

多分、自分の中でも無意識のうちに
その使い分けが行われていて
味わって読もうと思うような時には
頭の中で音声化し、文字をひとつずつなぞっていくという音読(なぞり読み)
そこから情報を得ようと思っているような時には
やはり、ある程度まとまった文章をイメージとして捉えているような気がする。
視読は、声帯を使用しないで文章を読むということだそうだが
そう言われてみると、確かに後者の読み方をしている時は
喉は解放されているように感じられる。
多分、文字を見る見方も
アイ・ボディでいうところのフォーカス視ではなくパノラマ視的な感じ…
像を後頭部で結ぶような感じかもしれない。

読書をする時に声帯を使っている(働いている?)とは
面白いものだ。

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November 12, 2009

地始凍

仕事からの帰り道、コートの襟を立てたくなるような寒さを感じ
「地始凍」の暦の通りだなと感じた。

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凍ってこそいないけれど、風に吹かれ
歩道を転がっていく落葉の乾いた音は
どこかうら寂しさを覚える響きだ。

気持ちの面で、ちょっと慌ただしかった1週間
週末はちょっとハートのチャージ(笑)ができるような時間を
持ちたいと思っている。

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November 11, 2009

Bliss with "The Heart Asks Pleasure First"

仕事の帰りに寄っていたクラスを年内はお休みさせて頂く事になった。
仕事が忙しくなる時期でもあるし、
余りコンディションの良くない状態で動いて
脚に負荷をかけることを今は避けておきたいのと
やはり、父のこともあって
母の精神的な負担を少しでも和らげる時間を
多く取りたいと思ったから。

そのクラスに出るためには、前日から色々と下準備が必要なので
それが休みになっただけで
前日の時間の流れまでもが
これまでよりずっとゆっくりになったような気もする。
それが日常になっていたから、自分では頑張っている実感は無かったのだが
結構無意識のうちに自分を追い立てていたのかもしれない。
また、ちょっと頑張ることが必要になる時期も訪れるのだろうが
今は少しスローペースで、身の回りの物事や身体が抱えているものを軽くして
流れを良くしていくことが必要なのだと思う。
そう、思いながらも、いつも出ているクラスが無いということが
どこか寂しいようにも感じられる微妙な心境(笑)

それでも、習慣で早くに目覚めてしまう朝
いつもよりゆっくり支度をしても時間がたっぷりあり
結局30分ほど早く家を出た。
駅までの道も、ホームも、その30分でずいぶんと表情が違い
電車も幾分空いている。
出勤までの時を過ごす場所も、ちょっと変えてみようと
いつもとは違うカフェに足を向けてみた。
上のフロアにはまだ他の客もなく貸切のようで、
まるでオフシーズンの避暑地の朝のような感覚も覚えながら
ゆっくりとミルクティーを楽しんだ。
光沢のある床に、空のブルーが映って
静寂な水面の中にいるような気がした。

Ca3c0389

夜になって帰宅すると
家族はまだ誰も帰っていなかったので
のんびり食事の支度を済ませてから
一日の仕事の疲れを解すために
1番でのドゥミ・プリエやカンブレを丁寧に繰り返した。
最初のうちは、普通に目を開けて、
次は自分の周りの空間をイメージで捉えながら目を閉じて。
不思議なもので、目を閉じているほうが
その空間にも、体内にも広がりが生じる。
それだけ習慣化した「見ること」から受けている影響が大きいのだろう。
それを繰り返す中でバーを持つほうの腕や
そちら側の半身が生き始め
動かしているアームスと調和しながら働くことが
ある程度自分の中に定着してきてから
再び目を開けて同じ事を繰り返すと
最初とは全く違った広がりが自分やその延長線上の空間に生じて
アライメントも自然と整っている。
多分、これがその時間の中でのキネスフィアの変化なのだろうと感じた。
ゆっくりしたプリエの繰り返しが循環も良くしたのだろう
脚に感じていた1日の疲れも、ずいぶん軽くなっている。
使用した曲は、ふと気が向いての
Michael Nyman の「The Heart Asks Pleasure First」
邦題は「楽しみを希う心」
流れるようなアルペジオが
継ぎ目のない動きに良さそうだと思ったのと、
夜を包み始めた雨音と馴染むように感じたら。

何となく、この曲に振りをつけて踊ってみたい気持ちになった。
レッスンは無かったけれど
自分なりのバレエのBlissがあった晩だった。

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November 07, 2009

心に響く言の葉

今日、BOOK CLUB KAIのメルマガに
ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に掲げられているという
宮嶋望 訳の詩が掲載されていた。
強く心に響いて、ちょっと検索をかけてみると
色々な訳があって、やはり微妙に響き方が違うので
原文に触れてみようと更にサーチして
それを見つけることができた。

ここでは、その原文をご紹介させて頂こうと思う。

A Creed For Those Who Have Suffered (Answered Prayer)

I asked God for strength, that I might achieve, I was made weak, that I might learn humbly to obey.

I asked for health, that I might do greater things, I was given infirmity, that I might do better things.

I asked for riches, that I might be happy; I was given poverty, that I might be wise.

I asked for power, that I might have the praise of men, I was given weakness, that I might feel the need of God.

I asked for all things, that I might enjoy life, I was given life, that I might enjoy all things.

I got nothing that I asked for but everything I had hoped for.

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered. I am among all men, most richly blessed!

--- Attributed to an unknown Confederate soldier

心に大切にしまっておきたい言の葉だ。

そして、今日はもうひとつ、友人から心に染み入る言の葉を頂いて
今日の陽射しのように暖かな想いに包まれてもいる晩。

ありがとう。

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November 05, 2009

Follow my bliss

澄み切った空に広がる色彩の鮮やかさや透明感に
もうそこまで来ている冬を感じる。

Ca3c0381

先日、久しぶりに友人とゆっくりとお喋りしながら食事を楽しんだり
いつもの時間の流れより
少しゆったりした1週間を過ごす中で
何かが整理されていったのだろうか
もう、手離してもいいこと、
もっと大事にしたいことの輪郭線が
自分の中ではっきりしてきたように思う。

Follow my bliss
もちろん、何でも心の向くままに…とはいかないけれど
毎日の小さな「選択」の中で
必ずひとつはそれを心がけようと思った。

本当は今日もレッスンがあったのだけれど
休養したいという身体の小さな囁きに従って、それを手離し
その分静かに過ぎる時間の中で、薔薇たちの手入れをし
フランキンセンスとサンダルウッドのお香を焚きながら
リラクゼーションの時間をとって、心と身体を整え、
またひとつコラージュを創って、サイトのTOPに差し替えた。
そうして、少し余白ができると
新しい希望や、それに向けて今するべきことが
自分の中に生まれたり、ビジョンが見えてくるものなのかもしれない。
サスティナブルな夢が見つかって
そのための一歩を進める選択をし、
それによって、このところ
足元から少しずつ流れ出す砂のような肌触りに戸惑いも感じていた
「自分のモチベーションの置き所」も
根を張る大地に変わり始めている。

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November 02, 2009

11月最初の晩、あいにく月は見えないけれど
この2日間かけて作った世界で1冊の
ささやかな画集の末尾に
どうしても月のイメージを添えたい気がして
かつて作った画像をコラージュしてみた。

Moon


旧友の訃報が届いた10月の満月の日から
満ち欠けは一巡して
再び、満月が訪れようとしている。

誰しもいつか必ず今生との別れがやってくるものだけれど、
だからこそ、「ありがとう」の気持ちだけは
伝えそびれないような生き方をしていきたいと
感じた1ヶ月でもあったせいだろうか。

今、感じている「ありがとう」を
とりあえず形にできた安堵感と共に過ごす晩
何故か、いつか見た青いガラスでできた蓮のオブジェのイメージが
脳裏に浮かんできて離れない。

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October 30, 2009

Teleidoscope

年末にかけて、仕事も忙しくなる時期を迎えたが
それでも、帰り道の美しい月の光に潤され
どこか、昨年までのように忙しさの渦中のざわつきが無いところに
自分が居るような感覚を覚えるこの頃
何故か踊っている夢を見ることが多い。
しかも、その振りを覚えていることも多く
まるで夢の中で振りを渡されたようだと友人に話したら
不思議なことに、友人も最近踊っている夢をよく見るという。
この月の光が、夢の中に踊りを運んでくるような
響きを持っているのかもしれないなと感じながら
今日、なすべきことを済ませた後の静かな時の流れの中で
再び、月を見上げた。

ふと、思いついて
久しぶりにPhotoshopでTeleidoscopeのような世界を
あれこれ作ってみて光と戯れた。
身の回りにある物や自然が
ちょっとした操作で幻想的な世界になる。
元もとの写真から、ある程度色合いは予測できるが
実際に、様々なフィルターをかけたり
回転させたり、透過の度合いを調整しながら重ね合わせたり
どんな紋様のどんな光になるのかは
最終的に仕上がるまでわからないのが
面白かったりもする。
そんな眺めを楽しんだ晩秋の宵、
自分の成していることが、人生に描くものも
もしかしたら同じことなのかもしれないなと思った。

玄侑宗久氏のエッセイが心に残った晩だった。

Teleidoscope01


Teleidoscope02


Teleidoscope03


Teleidoscope05


Teleidoscope06


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