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December 26, 2009

Ballet:Lesson Notes #108

クリスマスも過ぎ、今年も残すところ僅か
TOP ページのイラストをひとつ差し替えた。
例によってDancerの絵は既存のものだけれど
背景は「Bliss」と「Gratitude」にまつわるものからの
コラージュというテーマ。

Teleidoscope11
Copyright©2009,YAK0 All right reserved

クリスマスの夜、1枚のCDを聴きながら
哀しくて、壊れそうで、切ない歌詞の中にも
前へと推し進めてくれる不思議な力があって
圧倒的ともいえるような響きで
心で蹲っていたものも解き放ってくれるような曲たちを聴いているうちに
何かがそこから抜けていき
澄んだグリーンが広がるような清涼感に
高揚するものがあったのか、久しぶりに眠れず
薄絹の衣を纏った月の光を溶かしたような
グラス一杯のワインと共に
揺さぶられ心から流れ出すものを
静かに感じ取りながら
夜をくぐり抜け、朝を迎えた。

揺らぐことで見失うことを、多分どこかで怯えていたけれど
時に身を枯らすほど涙が流れても
時に身が軋むほど切なくても
世界でたったひとつの永遠に失われないものは
その揺らぎの中にあったのだと
いや、その揺らぎそのものだったのだと
闇が薄らいでいく朝の中で感じた。

ありのままを受け入れるということは
思考のレヴェルで起こることではなく
こんな風に全く予期していなかった瞬間の
意図しなかったきっかけで
ハートのレヴェルで起こる事なのだろう。

そんな時に出会ったオリーブグリーンの光を持つ美が
この背景の元になっている。
が、それについてはまた後日(笑)

【CoolBallet】
今週もリラクゼーションの時間には
ハムストリングスや内転筋をストレッチするような動きや
カンブレなどが多く出てきて
やはり、身体は伸ばしたがっているのだなと感じた。
バーとも相変わらずよく戯れていて(笑)
何やらオフバランスになってみたり
大きなカンブレだったりと
やはり、そこでもまんべんなく身体全体を
ストレッチしていたようだ。

そうして、動きがある程度の流れと繋がりをもって
生じ始めるようになって
自分の内側から、閉じている瞼を開きたいような衝動が
少しずつ現れ始めているのを感じた。
感じつつも、その日は開かれることは無かったが
今回はバーレッスンも少々行って
最後にはインプロも踊る中で
自分の中の意識の働き方は
リラクゼーションの中でのそれと
余り、差異が無くなっているようにも思えた。

何となく、そのうち目も開き始めるのではないかという気がするし
今まで、そのリラクゼーションの中でしか解き放たれなかったものが
スイッチを切り替えるようなものとしてではなく
ボーダーレスに生じうるものになりつつあるのかもしれない。

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December 20, 2009

Ballet:Lesson Notes #106

街にも、電車にも、そして道路にも
どこか師走の速度を増したような時が流れ
それなりに忙しくはあるのだけれど
不思議なほど、心は穏やかに
瞬間瞬間の大切なものを捉えながら過ぎた1週間だった。

Ca3c0432

【CoolBallet】
冬の繊細で柔らかな光と美しい波動の中で
仕事の疲れも心地よい動きとなって放たれていく。

このところ最初に開き始めるのは
喉と胸のチャクラなのだろうか
ふっと緩み、広がったスペースに
深く浸透する呼吸が
次に放たれていく時にアームスや
全身の動きとして広がっていくのを感じながら
動きが呼吸そのもののように思えた。

目を閉じたまま動くという視覚からの情報の無い不安定さも
意識が頭からハートに降りて、そこに寛ぐとき
どこかしなやかな軸が内側に生じ
どんなにしなっても、手足を動かしても
身体が空間を捉え
その中で戯れるように踊る至福は
この冬空が天に広げた翼の懐で
その柔らかな羽に撫でられるような感触と共に
心身を解放していった。

【薔薇】
10月に贈って頂いた、何が咲くか内緒のミニ薔薇が
ようやく、その蕾を膨らませ始めた。
Ca3c0438

そして、コガネムシの幼虫に根を食い荒らされてしまった
エレーヌ・ジュグラリスも
無事、そのいのちを繋げ
この寒さの中でも、新しい芽を力強く伸ばし始めている。
エレーヌのことは、同時期に体調を崩した父のことともどこか重なって感じられ
ずっと、祈るような想いで見守ってきたので
生命力を感じさせる芽吹きをことのほか嬉しく思う。

Ca3c0439

自分が愛を注いでいる花たちと
様々な出来事は
どこか呼応しあっているようにも感じられる。

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December 11, 2009

Ballet:Lesson Notes #105

次第に雨脚が強くなっていく午後だったが
父の退院を明日に控え
先日までの微かに、でも常にどこかで持続しているような
閉塞感も無い軽やかさが
その雨を全てを艶やかに磨き上げていく慈愛の雨のように
感じさせているようだ。
そういえば、CoolBalletで何らかの節目を迎える時は、
何故かいつも雨のような気がする。

今日は真っ先に開いたのは涙腺ではなく(笑)
ハートだったのだろうか
何かが抜け落ちて、そこに空いたスペースに、
爽やかなエメラルド・グリーンの気が満ちてくるような心地よさに
まるで自分の体幹が広がったような感覚と共に
呼吸が身体の隅々まで深く染み渡っていくようだった。
生じる動きも、その深呼吸から広がっていくような
ゆったりと伸びやかな動きで
このところの仕事の忙しさで少なからず負担がかかっているはずの脚も
無理なく緩め、ストレッチされ
すっかりダウンしたレッスン・ペースの中にありながら
長谷川先生が仰るには
むしろ、これまで以上に体中の関節の可動域が広がり
生じる動きも身体を超えた空間までの広がりが
見えるものだったそうだが
実際、私自身も自分の周囲の気感とでもいうのか
スピリチュアル的な表現をすれば
アストラル体まで感覚が広がったような印象を感じ続けていた。

フィジカルな面での働きかけだけでは
動き、放ちきれなかった何かが
ここ数ヶ月の様々な出来事の中で変容し
動きの自由度として齎されたのかもしれない。
その動きが徐々に収束する頃
自然と大地に佇み、祈るようなポーズになって
最後の最後にこの日初めて、
二筋、目尻から流れ落ちるものがあったが
それは、哀しみでも苦しみでも
不安でも自己憐憫でもない
ありとあらゆるものへの感謝から生まれ出る
響きの表出であったように思う。

その後、雨が紗幕を下ろすように
暮れていくパノラマを眺めながら
インプロを踊る中で
至福はいつも今ここにあることを確かに感じ
この時間まるごとが私にとっての「Well done」なのだと思った。

哀しいことも、苦しいことも
そしてもちろん嬉しいことも
ひとつひとつに繊細に、誠実に向き合っていくことは
決して容易では無いけれど
でも、それを成しえて初めて
そのStageで結晶したものの輝きが
次のStageへの道筋を射すのだろうし
「Well done」の響きは
そのプロセスの積み重ねの中で磨かれていく
魂の耳を通じてのみ聴こえてくるものなのかもしれない。

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December 04, 2009

Ballet:Lesson Notes #103

先週通りかかった時に
まるで無数の蝶が天に向かって羽ばたいていくみたいだと
下から見上げた銀杏の木も
今日は金色の絨毯を辺りに広げていた。

Ca3c0421

今回も真っ先に動き出したのは涙腺(笑)
いったいどこから湧き出してくるのだろうと不思議になるくらい
リラクゼーションの間中目尻から伝い続けるものの感触を感じていた。
普段、(余り泣かないタイプなのだが^^;)涙が出る時って
それが悲しみでも感動でも
何か胸がキュンとするような感情から、それは発動してくるように思うのだが
そういうプロセスが無く、
無の静謐の中から湧き出してくるような、そんな涙だ。
意識の壁の向こう側から、
抑圧されたものが放たれているのだろうかと
どこかで思いながら、
流れる涙に比例して、ここ数日続いていた
喉の苦しさも解き放たれて
首の詰まりが楽になっていくのを感じていた。

多分、結構長い間その時間が続き、
1曲インプロを踊って笑顔でレッスンを終え、
美しく広がる黄昏時の風景と
ひんやりした風に触れたとたんに
何かがふっと緩んで
今度は感情から発動する涙が
一気にこみ上げてきた。
それは悲しさでもあり、心細さでもあり、感謝でもあり、安堵でもあり
いろいろな想いが夕暮れの空のように
カクテルになったような感情からだったが
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになるくらいの緩み方に
自分自身が驚きもした。

それでも、放つべきものを放った後に広がる
心地よいけだるさの中で
また1週間、前を向きながら進んでいくエネルギーが
内側から湧き出してくるのを感じた。

父が入院して数週間
入院した時の症状はすっかり落ち着き
今は、1本の生理食塩水の点滴を残し
(残しているのは検査のためだろう)
病院内を自由に歩きまわれる程度に回復しているが
それと同時に、ひとつの選択をしなければならない時期を迎えてもいる。
今回の症状を引き起こしたのが
何に起因するかの推察を担当医からは聞いているが
それをはっきりさせるためには
リスクもある検査を行わなければならない。
リスクの少ない検査方法もあり
その種の治療で実績のある病院の
セカンドオピニオンも訊いてはみたが
アジアで1台という最新の検査設備を使っても
それで判断がつくのは、やはり50歳代位までで
高齢者の場合は、リスクのある検査が必要となるとのことだった。
ならば、今の病院と比較にならないほど
その症例を扱い、実績をあげている遠方の病院で
検査から、必要であれば手術までを行ってもらうことを考えもしたが
その話を聴いた父は
とりあえず、今の病院での検査の承諾書には
サインをしないでくれ、このまま退院したいという。
他の病院での検査や治療に関しては
母と私に判断を委ねるような事を言ってはいたが
でも、父自身がそれを積極的に望んでいないことも
私たちには感じられたし
判断を委ねたのは、自分が感じる必要性というよりは
万が一の事があった時に
検査や治療を受けさせていればと
家族が後悔しないための思い遣りのようなもので
父の中では、このまま天寿を全うする覚悟ができているのだろう。

仮に検査や手術をして
生き長らえる時間が延びる可能性が増えるとしても
今、具合の悪さが生じ始める前の
元気さが戻っていることを実感している父に
これ以上の負担や不自由を与えるようなことが
本当に必要なのだろうかと、
そして、父自身が日常生活に戻ることを不安に思わず
自然のままに生きていくことを望むなら
はっきりした診断を得ることに
何の意味があるのだろうと家族のそれぞれが自問した1週間でもあった。

結局、家庭での食生活の管理や
既に入院時から始めている
身体に負担をかけない補完療法で支えながら
自然治癒力に希望を持ち
父のQOLを尊重しようというところに
家族の意志がまとまりもした今日だったから
そこに行き着くまでの様々な想いの中で
蓄積されたものが涙となって放たれていったのだろうとも思う。

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November 27, 2009

Ballet:Lesson Notes #101

【CoolBallet】

家と病院と会社の間を行ったり来たりで過ぎていった10日ほど。
いつも出ているクラスレッスンの時間帯は
病院へ母を迎えに行く時間と重なるのでずっとお休みを頂いたままだが
今日はCoolBalletのレッスンへ行った。

駅からの道の途中で
金色の天蓋のような銀杏がとても美しかったので
暫し、その銀杏の下からの眺めを楽しんだ。
暦の上では朔風払葉だが
この鮮やかな黄色と穏やかな気候とに
癒され、元気付けられるような気がした。

091127_124201

長谷川先生には、父の件でも
色々とご相談させて頂いたり、お力添え頂いたりして
足を向けて寝られないほどお世話になってしまって
感謝しつつ恐縮もしつつの昨今だが
そのお陰で父の回復も順調で
それを見守る私や母も、いたずらに心配の先取りをすることもなく
今出来ること、今すべき事に意識を向けながら
父を支えることが出来ているのだと思う。

リラグゼーションが始まって、程なくして
やはり、今回も真っ先に緩んだのは涙腺だったようだ。
頭の中は空っぽで、音楽と気感の心地よさに
ただ委ねていただけなのに
目尻から静かに流れ落ちていくものが止まらず、
それは、身体の動きが生じ始めてからも、
その後のインプロの中でも続いていた。
でも、何か強くこみ上げるようなものでもなく
悲しいとか、嬉しいとかいう感情以前の
自分の無意識のレベルから湧き上がってくるような涙で
それが何故なのか、何の涙なのか
理由付けする必要も無いなと感じながら
自然と流れ出したいままに委ね、静観しているような
心はとても平和な状態だったのが印象的。
レッスンが終わった直後に、
「流した涙の分だけ、痩せればいいんですけどね~(笑)」と
冗談を飛ばせるくらいで(笑)
こんなに静かで、ウェットじゃない涙というのもあるものだなと思った。

実際、レッスン量は激減しているのだけれど
身体の方はむしろ少々痩せて
お腹の調子が余りよくなかったこともあるのだけれど
それも、自分の中で抱え切れないものを
そういう形で外に出そうとしているのだからと
それをフォローする食の知恵や
今の状態に相応しいレメディなどもご教示頂いて過ごしているので
余計なものがデトックスされて
全体としてのコンディションは悪くなく
かえってスッキリ軽くなったようでもある。

このところ、ずっとフル回転で
精神的な面…というより
無意識レベルでの息苦しさが
やはり多少蓄積しているのは自覚していたが
それも涙と共に解き放たれたようで
レッスンが終わる頃には
まるでその時間ずっと酸素カプセルににでも入っていたかのように
心身ともに軽やかになって
また1週間、気持ちよく頑張れそうな気分になった。

その後、また病院に寄ったが
父も今日から酸素吸入の管の装着が不要になり
点滴も3つから1つに減ったので
点滴のスタンドを押しながらなら
病室内の洗面所での歯磨きや、
トイレにも行ける様になったとのことで
本人も楽になっただろうし
母も私もずいぶん気が楽になった。
(やはり、ベッドで身動きが取れない状態だと
頻繁に病院に足を運んであげないと可哀想と思ってしまうので^^;)


【ロミオとジュリエット】

夏に観た東京シティバレエ団のロミジュリの写真が
黄凱さんのサイトにUPされている。
(Stage→東京バレエ団「ロミオとジュリエット特集」)
PLIEさんの臨場感溢れる写真を通じて
舞台を追体験することを楽しんだりもしたここ数日だった。

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November 15, 2009

Ballet:Lesson Notes #100

【CoolBallet】
リラクゼーションの時間、
横たわって数呼吸しないうちに、心身が緩み開いてくる。
長谷川先生の声が、ずいぶん深く響いてくるなと
意識のどこかで感じながら
今回真っ先に動き出したのは、何故か涙腺だった。
それほど思い詰めている自覚も無かったので
静かに、でも途切れなく目尻を伝うものが
いったい、どこから湧き上がってくるのかが自分でも不思議だった。
でも、意識やはっきりした感情が引き起こすのではない
身体が自然と放出を望むエネルギーのひとつの表れで
それは、今の私に必要なことだったのだろう。

説明のつかない涙と入れ替わるように
深い呼吸と共に手足の動きが生じ始める。
ゆっくりと、少しずつ身体が引き伸ばされ
体中の関節を目覚めさせ、滑らかにしていくような動きが続き
やがて、自分の中心から放たれるエネルギーと
自分の周りを包んでいる気感の揺らぎの中で調和を保ちながら、
気の旋律に全身が歌うように踊りだした。
気舞って、こういうものなのかなとどこかで感じながら
その心地よさの中で泳ぎ
時折、訪れる内側からの高鳴りに寄り添うように
湧き出しては頬を伝っていくものの感触を感じつつ
寄せては返す波の中に自分を委ねる時間が
いったいどれだけ続いただろうか
放つだけのものを放ち、自然と収束していく動きの中で
何故か、小学校低学年の頃の家族のちょっとした出来事が
昨日のことの様に…というより
今、自分がその場にいるようなリアルさを伴って
自分の中に蘇ってきた。

それは多分、私にとってとてもいとおしい記憶だったのだろう
私の記憶の奥深くに眠っていた家族のぬくもりの原風景を
踊りを通じて手渡され、それを再び抱きしめるような体験が齎すものの力が
今、両親を支える自分のエネルギーとなって
私自身の中で暖かな灯火となったように感じた。

【友人とのひと時】

このところの状況を、よく知っている友人が
心尽くしの手料理でもてなしてくれる機会を設けてくれた。
身体と心に優しい、センスの良さが表れたようなお料理を頂きながら
一皿一皿、サーブされるごとに
労わりと優しさの花束を受け取っているような
暖かな気持ちになった。
父のことも含め、いろいろな話をする中で
その時間まるごとが、友人の暖かなHugのように感じられた。
ありがとう。

その温もりの余韻を纏いながらの帰り道
ギブランの詩が何度も心に浮かんできた。

Khalil Gibran 『The Prophet』より

Friendship

And a youth said, "Speak to us of Friendship."
Your friend is your needs answered.
He is your field which you sow with love and reap with thanksgiving.
And he is your board and your fireside.
For you come to him with your hunger, and you seek him for peace.
When your friend speaks his mind you fear not the "nay" in your own mind, nor do you withhold the "ay."
And when he is silent your heart ceases not to listen to his heart;
For without words, in friendship, all thoughts, all desires, all expectations are born and shared, with joy that is unacclaimed.
When you part from your friend, you grieve not;
For that which you love most in him may be clearer in his absence, as the mountain to the climber is clearer from the plain.
And let there be no purpose in friendship save the deepening of the spirit.
For love that seeks aught but the disclosure of its own mystery is not love but a net cast forth: and only the unprofitable is caught.
And let your best be for your friend.
If he must know the ebb of your tide, let him know its flood also.
For what is your friend that you should seek him with hours to kill?
Seek him always with hours to live.
For it is his to fill your need, but not your emptiness.
And in the sweetness of friendship let there be laughter, and sharing of pleasures.
For in the dew of little things the heart finds its morning and is refreshed.

【父親像】

昨夜、雑念する「からだ」の記事を拝見させて頂いて
http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/132566673.html
http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/132844568.html
あー、本当にそうだなと思った。

人間、自分の「辛い、苦しい、大変だ」ばかりに
目が向きがちであるけれど
自分が見えない部分の相手の時間に
「大変比べ」じゃない視線で、想像力を巡らせてみるだけでも
漏らされる「愚痴」の響き方は
ずいぶん変わってくるように思う。

とはいえ、疲れたり、しんどいと感じた時
別に労いを期待するでもなく
つい、フッとその感じたままが口から滑り出したような瞬間に
間髪いれずに、相手の不快の表明が返ってきたりすると
カチンときたり、あるいは、
「もう、二度とこの人の前で弱音を吐くもんか」と
やはり感じてもしまいがち。
(多分、私は後者のタイプだ^^;)

でも、エネルギーの流れを変えるチャンスは
きっとそういう瞬間にあるのだろう。
「カチン」とか「ムッ!」はとりあえず脇に置いておいて
まず、相手を受容するところから
開かれ、流れ始めていくものが。

そして、やはり家庭の中を巡っているエネルギーが
子どもに与える影響は計り知れないと思う。
子どもにとっての父の存在の仕方というのは
その子が存在している世界の核のような面があるのではないかなと
私は感じている。
多くの時間を過ごす母や周りの大人が、
その振る舞いや言葉で表す父親像
子どもはそのフィルターを通して
自分の中の父親像を描いていく。
それが、仮に何らかの理由で存在していなかったにしても
どういう像を、その核に結べるかによって
安定もし、あるいは揺らぎもするのだろうと。

【視読?】

読書速度の計測ができるサイトがあり
http://www.zynas.co.jp/genius/sokudoku/sokutei.html
ためしにやってみた。

Readingspeed

速読の訓練をしたことは無いが
そこに出てきた「視読」という言葉に触れて
ちょっとそれを調べてみたり
改めて、自分がどのように読書をしているかについて考えてみた。

多分、自分の中でも無意識のうちに
その使い分けが行われていて
味わって読もうと思うような時には
頭の中で音声化し、文字をひとつずつなぞっていくという音読(なぞり読み)
そこから情報を得ようと思っているような時には
やはり、ある程度まとまった文章をイメージとして捉えているような気がする。
視読は、声帯を使用しないで文章を読むということだそうだが
そう言われてみると、確かに後者の読み方をしている時は
喉は解放されているように感じられる。
多分、文字を見る見方も
アイ・ボディでいうところのフォーカス視ではなくパノラマ視的な感じ…
像を後頭部で結ぶような感じかもしれない。

読書をする時に声帯を使っている(働いている?)とは
面白いものだ。

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November 06, 2009

Ballet:Lesson Notes #98

【CoolBallet】

降り注ぐ陽光の紡ぐ金色の温もりが
手放すべき全てのものを
その光の中に溶解していくような
リラクゼーションのひと時の中で
膝下くらいまでの深さの程よい湯加減の温泉と
脚で戯れているような動きが生じてくる。
今、身体はこういう動きを心地よく感じ
必要としているのかと感じながら
生じてくるものに自分を委ねた。

バーレッスンは片手バーで
ポール・ド・ブラを中心にみていただく。
どういう軌道を描こうと操作するというより
自分の中心から生じ
空間へと広がり、あるいはまた
引寄せられるように収まるムーヴメントにアームスを委ねながら
どこまでを保ち、どこをどう重力に委ね
プリエの動きとのコーディネーションを連ね
アームスや体幹だけでなく
空間や床との繋がりも含めた全体の調和の中で
運ばれていく腕とその結果として生じる軌道を
繊細に感覚の印画紙に焼き付けていく。

もっと抜けるところ、委ねられるところが
ずいぶんあるものだと気付く。
意識や自我のこわばりが
少しずつ削ぎ落とされていく中で
アームスはより自由に運ばれ
自然とプリエと同調し
より広がりのある流線型を描きながら
身体全体を相応しいポジションに導き
顔のつき方や、表情までもが
意識するでもなく、自ずとその動きに寄り添ってくる。

先日の仄かな光の中のアームスと
今日の光の溢れる中でのアームスとが
全く同じである必要は無い
(舞台)照明は、単に観せるための演出だけでなく
本来、そこで踊る僕たちが
そのイメージに沿った光に響きあっていくためにあるのです
というようなことを仰る。

エクササイズではあるのだけれど
エクササイズには終わらない
どんなシンプルな動きや、その繰り返しの中にでも
舞台芸術としてのバレエが
その底流に流れ続けていることを
血肉に、骨に染み込ませていくようなひと時だった。

【あわい】
その後、友人と遅めのランチをとることになった。

秋と冬、昼と夜のあわいを
滑るように流れていく時間の中で
刻々と移り変わる光をも味わいながら
色々なことを話した。

その日、その時間を共に過ごすことを
予定していた訳ではないのに
穏やかな時間が齎してくれた静寂は
その後、実家から入った連絡で
父の血液検査の結果
いくつか、余り望ましくない数値が出て
来週早々に精密検査が必要になったとのことで
このところちょっと体調を崩している父への懸念や
少々動揺気味の母のフォローにおいて、
長女としての役目を果たすための
スタンスの足元を支える落ち着きを
そのひと時は余韻として残してくれたようだった。

色々なことで頻繁にシンクロが生じる友人なので
その真心の温もりが、それが必要になる時に
予め齎されたりしたのかなと感じながら
それをしみじみあり難く思った。

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November 03, 2009

Ballet:Lesson Notes #97

いつも昼間の時間帯に受けることが多い長谷川先生のレッスンだが
久しぶりに夜の時間帯のレッスンを受けさせて頂いた時のこと。
広がる夜景とキャンドルのほのかな光の中
片手バーでのプリエを丁寧に繰り返した。
その日は、ポール・ド・ブラも、より繊細に
プリエの動きとアームスの動きの微妙なタイミングや
留まることなく流麗に繋がりながら
でも、決して「流されている」のでは無い
アームスの運び方をとても丁寧にみていただいた。
捉える空間を広げ、床から押し上げられ
自分の体の中を通り抜けて、腕を辿り、指先へと抜け
更に空間へと放たれていくような
内なるムーヴメントの流れに運ばれ
広がったところから、微かに肘関節が滑ることによって
生じる指先には何の緊張も無いアロンジェは
関節の構造を、もっとも効果的に、かつ美しく使う
機能美でもあるのだということを実感する。

長谷川先生が実際にお手本を見せて下さったり
4番にタンリエしながらのポール・ド・ブラをさらっとやって下さるが
すっかり鑑賞モードで見入ってしまう(笑)
身近に知る限りのプロのダンサーの方も含めた中で、
多分、最もエレガントなポール・ド・ブラをなさるのが
長谷川先生だと私は感じているが
アメリカで師事なさっていた先生に徹底的に厳しく仕込まれ
ついには、その先生が「思ったとおりの軌道を描く」と認め
そして、クラスでは常に模範演技を行う生徒であったということが
指導の際のちょっとした動きの中にも現れている。
そうしたキャリアやエピソードを決して誇示するような方ではなく
むしろ、もっとアピールしても良いくらいなのではと感じるほど
そういった面でスマートな方なので
私がこうして書くことですら、くすぐったく感じられるのではないかと思うが
でも、語らずとも動きはそれを饒舌に表すものなのかもしれない。

ほのかな光という、通常のレッスンではなかなか無い環境の中で
そうしてポール・ド・ブラを、
どの瞬間にもその繊細なムーヴメントを
腕だけでなく、脚も体幹も頭も、全て通し、響かせるようにしながら
丁寧にトレースしていると
何故か、先日小川先生のKinesphereをテーマにしたセッションの中で
周辺視を感じ、Kinesphereを捉え、
更に広げていくようなエクササイズを行っていた時の感覚と
強く響きあうものをそこに感じた。
長谷川先生の細やかな導きに従いつつ
指一本の微かな緊張にすら意識を向け、それを手放しながら
肘関節の滑らかな滑り感
より広がっていく空間との繋がり感を
自分の回路に刻み込んでいくプロセスは
ポール・ド・ブラやプリエというごく基本的な動きの中にさえ
こんな上質な快感があるのかと
改めて感じるほどの至福のひと時でもあったし
自分が特別注意したり、意識を向けないところでも
生じやすい癖が出なくなったり
バーを持つ側の腕や体幹の状態が自然と良い状態になっていたり
腰もより良いアライメントに導かれたりして
私でもこんな動きができるんだ…と
自分の身体が、何だかべつものになったようにも感じられた。

通常のクラスレッスンのテンポや組み合わせの中では
まだ、それを保ちながら動き続けることは難しいかもしれないが
こうしたいつもと違う光の状態の中で
繊細な感覚や空間を感じ取りながら
その動きの感覚をトレースしていくことが
色々な意味で、今の私にいい作用を与えてくれるような気がしたし
このタイミングでそうした時間を持つことができたことは
昼間のレッスンの時以上に空間が手に取るように感じられ
それこそ、小川先生のセッションでのキネスフィアを
実際にバレエの動きの中で確認したようでもあり
体験を更に体験に繋げ、
自分の中に刻み込んでいくためにも
この上ない機会だったように思う。

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October 30, 2009

Ballet:Lesson Notes #96

10月も終わろうとしているのに
CoolBalletの午後は燦々と陽光の降り注ぐサンルームのよう。
陽射しのブランケットと秋の肌触りの良い風の中の
リラクゼーションのひと時は10月の祝福のように感じられた。
以前より、少し自由になったアームスと
体幹との調和を味わい、楽しむように生じてくる動きに任せ
結構長い時間、空間と戯れるように踊った後
自然と収束していく動きの中で
気の響きが、まるで音楽みたいに響いてきて、
そのバイブレーションに、アームスが絡まり合うように戯れるのを感じながら
意識が柔らかに着地するかのようだった。

その後、インプロを踊る。
長谷川先生の動きに合わせて、ポール・ド・ブラが中心だが
目で動きを追って真似るという感じではなく
むしろ気配を感じ取りながら同調していくような感覚で
多分、目を閉じていても
アームスは同じ軌道を描くのではないかという気がした。

レッスンを終えての帰り道
空を見上げながら、こんな言葉を思い出す。

私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。 今朝の新聞に何が載っていたか、友だちはだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるあるのか、そんなことを一切忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。

星野道夫 著 『旅をする木 (文春文庫)』より ジョセフ・キャンベルの言葉

Ca3c0371


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October 11, 2009

金木犀

【金木犀】

今年も金木犀が甘美な香りを
玄関先に漂わせている。
「天から授かった神聖な木」という言い伝えもあるそうだが
小さな花を幾千もつけて、豊かに香り
やがて、儚くもあたり一面を金色に埋め尽くして
大地へと還っていく姿には
全てのいきとしいけるものに手向けられたような
散華の美があるように思う。

Ca3c0336

【CoolBallet】

その知らせに慟哭を伴うほど、すでに近しくも無く
でも、今の私自身に
少なからず影響を与えていた存在の喪失と
語られなかった言葉に触れたことが
無意識のどこかに蹲っていた清算し残していた遠い日の記憶を
変わらぬ日常の隙間に時折、心のスクリーンに断片的に映し
訪れる小さな疼きと共に通り過ぎていった1週間だった。

「無」の中で身体の求めるままに動き
時間も思考も停止したような時を経て
次第に戻り始める「私」の意識が
深いところで蹲っていた想いを
抱きかかえながら戻ってきたかのように
意識が着地すると共に
静かに光の中に湧き出で、頬を伝った

アームスをゆっくりとゆっくりと天に向けて運びながら
空へと消えていくものの儚さを見送る
封印されていた涙は、もう留まることなく
大きく広がる景色を潤ませ
遠い日の私も、今ここの私も溶かしあって
ひとつにしていくのを感じながら

言葉にならない想いを心のままに舞いに託して放つ場があることに
慈愛と共に寄り添い、見届けてくれた心遣いに
心からの感謝を。

Ca3c0331

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