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November 06, 2009

Ballet:Lesson Notes #98

【CoolBallet】

降り注ぐ陽光の紡ぐ金色の温もりが
手放すべき全てのものを
その光の中に溶解していくような
リラクゼーションのひと時の中で
膝下くらいまでの深さの程よい湯加減の温泉と
脚で戯れているような動きが生じてくる。
今、身体はこういう動きを心地よく感じ
必要としているのかと感じながら
生じてくるものに自分を委ねた。

バーレッスンは片手バーで
ポール・ド・ブラを中心にみていただく。
どういう軌道を描こうと操作するというより
自分の中心から生じ
空間へと広がり、あるいはまた
引寄せられるように収まるムーヴメントにアームスを委ねながら
どこまでを保ち、どこをどう重力に委ね
プリエの動きとのコーディネーションを連ね
アームスや体幹だけでなく
空間や床との繋がりも含めた全体の調和の中で
運ばれていく腕とその結果として生じる軌道を
繊細に感覚の印画紙に焼き付けていく。

もっと抜けるところ、委ねられるところが
ずいぶんあるものだと気付く。
意識や自我のこわばりが
少しずつ削ぎ落とされていく中で
アームスはより自由に運ばれ
自然とプリエと同調し
より広がりのある流線型を描きながら
身体全体を相応しいポジションに導き
顔のつき方や、表情までもが
意識するでもなく、自ずとその動きに寄り添ってくる。

先日の仄かな光の中のアームスと
今日の光の溢れる中でのアームスとが
全く同じである必要は無い
(舞台)照明は、単に観せるための演出だけでなく
本来、そこで踊る僕たちが
そのイメージに沿った光に響きあっていくためにあるのです
というようなことを仰る。

エクササイズではあるのだけれど
エクササイズには終わらない
どんなシンプルな動きや、その繰り返しの中にでも
舞台芸術としてのバレエが
その底流に流れ続けていることを
血肉に、骨に染み込ませていくようなひと時だった。

【あわい】
その後、友人と遅めのランチをとることになった。

秋と冬、昼と夜のあわいを
滑るように流れていく時間の中で
刻々と移り変わる光をも味わいながら
色々なことを話した。

その日、その時間を共に過ごすことを
予定していた訳ではないのに
穏やかな時間が齎してくれた静寂は
その後、実家から入った連絡で
父の血液検査の結果
いくつか、余り望ましくない数値が出て
来週早々に精密検査が必要になったとのことで
このところちょっと体調を崩している父への懸念や
少々動揺気味の母のフォローにおいて、
長女としての役目を果たすための
スタンスの足元を支える落ち着きを
そのひと時は余韻として残してくれたようだった。

色々なことで頻繁にシンクロが生じる友人なので
その真心の温もりが、それが必要になる時に
予め齎されたりしたのかなと感じながら
それをしみじみあり難く思った。

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November 03, 2009

Ballet:Lesson Notes #97

いつも昼間の時間帯に受けることが多い長谷川先生のレッスンだが
久しぶりに夜の時間帯のレッスンを受けさせて頂いた時のこと。
広がる夜景とキャンドルのほのかな光の中
片手バーでのプリエを丁寧に繰り返した。
その日は、ポール・ド・ブラも、より繊細に
プリエの動きとアームスの動きの微妙なタイミングや
留まることなく流麗に繋がりながら
でも、決して「流されている」のでは無い
アームスの運び方をとても丁寧にみていただいた。
捉える空間を広げ、床から押し上げられ
自分の体の中を通り抜けて、腕を辿り、指先へと抜け
更に空間へと放たれていくような
内なるムーヴメントの流れに運ばれ
広がったところから、微かに肘関節が滑ることによって
生じる指先には何の緊張も無いアロンジェは
関節の構造を、もっとも効果的に、かつ美しく使う
機能美でもあるのだということを実感する。

長谷川先生が実際にお手本を見せて下さったり
4番にタンリエしながらのポール・ド・ブラをさらっとやって下さるが
すっかり鑑賞モードで見入ってしまう(笑)
身近に知る限りのプロのダンサーの方も含めた中で、
多分、最もエレガントなポール・ド・ブラをなさるのが
長谷川先生だと私は感じているが
アメリカで師事なさっていた先生に徹底的に厳しく仕込まれ
ついには、その先生が「思ったとおりの軌道を描く」と認め
そして、クラスでは常に模範演技を行う生徒であったということが
指導の際のちょっとした動きの中にも現れている。
そうしたキャリアやエピソードを決して誇示するような方ではなく
むしろ、もっとアピールしても良いくらいなのではと感じるほど
そういった面でスマートな方なので
私がこうして書くことですら、くすぐったく感じられるのではないかと思うが
でも、語らずとも動きはそれを饒舌に表すものなのかもしれない。

ほのかな光という、通常のレッスンではなかなか無い環境の中で
そうしてポール・ド・ブラを、
どの瞬間にもその繊細なムーヴメントを
腕だけでなく、脚も体幹も頭も、全て通し、響かせるようにしながら
丁寧にトレースしていると
何故か、先日小川先生のKinesphereをテーマにしたセッションの中で
周辺視を感じ、Kinesphereを捉え、
更に広げていくようなエクササイズを行っていた時の感覚と
強く響きあうものをそこに感じた。
長谷川先生の細やかな導きに従いつつ
指一本の微かな緊張にすら意識を向け、それを手放しながら
肘関節の滑らかな滑り感
より広がっていく空間との繋がり感を
自分の回路に刻み込んでいくプロセスは
ポール・ド・ブラやプリエというごく基本的な動きの中にさえ
こんな上質な快感があるのかと
改めて感じるほどの至福のひと時でもあったし
自分が特別注意したり、意識を向けないところでも
生じやすい癖が出なくなったり
バーを持つ側の腕や体幹の状態が自然と良い状態になっていたり
腰もより良いアライメントに導かれたりして
私でもこんな動きができるんだ…と
自分の身体が、何だかべつものになったようにも感じられた。

通常のクラスレッスンのテンポや組み合わせの中では
まだ、それを保ちながら動き続けることは難しいかもしれないが
こうしたいつもと違う光の状態の中で
繊細な感覚や空間を感じ取りながら
その動きの感覚をトレースしていくことが
色々な意味で、今の私にいい作用を与えてくれるような気がしたし
このタイミングでそうした時間を持つことができたことは
昼間のレッスンの時以上に空間が手に取るように感じられ
それこそ、小川先生のセッションでのキネスフィアを
実際にバレエの動きの中で確認したようでもあり
体験を更に体験に繋げ、
自分の中に刻み込んでいくためにも
この上ない機会だったように思う。

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October 30, 2009

Ballet:Lesson Notes #96

10月も終わろうとしているのに
CoolBalletの午後は燦々と陽光の降り注ぐサンルームのよう。
陽射しのブランケットと秋の肌触りの良い風の中の
リラクゼーションのひと時は10月の祝福のように感じられた。
以前より、少し自由になったアームスと
体幹との調和を味わい、楽しむように生じてくる動きに任せ
結構長い時間、空間と戯れるように踊った後
自然と収束していく動きの中で
気の響きが、まるで音楽みたいに響いてきて、
そのバイブレーションに、アームスが絡まり合うように戯れるのを感じながら
意識が柔らかに着地するかのようだった。

その後、インプロを踊る。
長谷川先生の動きに合わせて、ポール・ド・ブラが中心だが
目で動きを追って真似るという感じではなく
むしろ気配を感じ取りながら同調していくような感覚で
多分、目を閉じていても
アームスは同じ軌道を描くのではないかという気がした。

レッスンを終えての帰り道
空を見上げながら、こんな言葉を思い出す。

私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。 今朝の新聞に何が載っていたか、友だちはだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるあるのか、そんなことを一切忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。

星野道夫 著 『旅をする木 (文春文庫)』より ジョセフ・キャンベルの言葉

Ca3c0371


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October 11, 2009

金木犀

【金木犀】

今年も金木犀が甘美な香りを
玄関先に漂わせている。
「天から授かった神聖な木」という言い伝えもあるそうだが
小さな花を幾千もつけて、豊かに香り
やがて、儚くもあたり一面を金色に埋め尽くして
大地へと還っていく姿には
全てのいきとしいけるものに手向けられたような
散華の美があるように思う。

Ca3c0336

【CoolBallet】

その知らせに慟哭を伴うほど、すでに近しくも無く
でも、今の私自身に
少なからず影響を与えていた存在の喪失と
語られなかった言葉に触れたことが
無意識のどこかに蹲っていた清算し残していた遠い日の記憶を
変わらぬ日常の隙間に時折、心のスクリーンに断片的に映し
訪れる小さな疼きと共に通り過ぎていった1週間だった。

「無」の中で身体の求めるままに動き
時間も思考も停止したような時を経て
次第に戻り始める「私」の意識が
深いところで蹲っていた想いを
抱きかかえながら戻ってきたかのように
意識が着地すると共に
静かに光の中に湧き出で、頬を伝った

アームスをゆっくりとゆっくりと天に向けて運びながら
空へと消えていくものの儚さを見送る
封印されていた涙は、もう留まることなく
大きく広がる景色を潤ませ
遠い日の私も、今ここの私も溶かしあって
ひとつにしていくのを感じながら

言葉にならない想いを心のままに舞いに託して放つ場があることに
慈愛と共に寄り添い、見届けてくれた心遣いに
心からの感謝を。

Ca3c0331

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October 03, 2009

 Ballet:Lesson Notes #92

【読書】
週末、一通り読んだ「これがボディワークだ―進化するロルフィング
今週は通勤のお供にもしながら、精読させて頂いた。

身体教育(somatic education)の章は
特に、このところずっと自分が抱えているテーマのようなものと
通ずる面が多く、付箋と赤ラインだらけになってしまった(笑)

ケン・ウィルバーの著書の数々やら
ナムカイ・ノルブの「ゾクチェンの教え」やら
このところずっと多読傾向できたけれど
「生まれては消えていく絶えざる思考の流れとしての心(私)を眺めつつ
でも、それをジャッジしたり、翻弄されたりせず
透明な観察状態の中で初めて生じる気付きや受容
それによって、内側から変わり、動き始める何か」
それに響きあうものを読み取ろうとしていたのかもしれない。

そして、漠然と広がりすぎてしまった関心と
それによって散らかった思考を
この本を読むことを通じて、今一度整理し
微かに捉え始めた、その何かに
体験のレベルで、どう取り組んでいこうかというところに
シフト・チェンジさせて頂いたようにも思う。

次回、「Kinesphere」 がテーマのセッションが
更に楽しみになってきた。

【CoolBallet】
前日、仕事中からちょっと喉が痛いなと感じたり
おまけに調べ物があって、つい夜更かししてしまったので
少し気をつけないといけないな…と思っていた。

その旨お話して、まずホメオパシーのレメディを頂いてからリラクゼーション。
やはり、この日は強い浄化力のあるフランキンセンスのお香に
自分自身がいつも以上に響きあっていくのが感じられた。
いつも、受身で「気」の心地よさを味わうばかりだったが
この時は自分の中心からも
その「気」の響きに調和していきたくなる衝動のようなものがあり
眉間がずっと疼き続けているような感覚が印象的だった。
秋雨の降り注ぐ、アンニュイな午後の光に寄り添うように
生じてくる動きも、フロアから余り離れず
膝や脚を休ませながらも関節を大きく動かすようなものが多かった。
後に、長谷川先生が
「坐ったままアダジオを踊っているような」と表現されていたが
確かにそんな感じだったと思う。
一面真っ白な世界の中で
煌く純白の細かい砂と戯れているようなイメージの浮かぶ中
永遠にそこに留まり続けていたくなるような
心地よいひと時を通じて
喉の違和感も、耳の下のちょっとしたコリコリもすっかり消え
立ち仕事で蓄積した、足腰の負担も
全身の関節の詰まりも、全てリセットされたような
ニュートラル感が広がっていった。

バーレッスンは、この日は両手バー。
そして、若干のセンターでのエクササイズ。
プリエやタンジュ、カンブレ、ロン・ドゥ・ジャンブ、ポール・ド・ブラの
全ての瞬間を味わい、
この10月の柔らかな雨のように
丁寧に自分の身体にしみこませていく様な時間だった。

【レッスン】
その後、少し時間を置いていつものクラスレッスンへ。
神経はまったり緩んでいるけれど
身体の中心は目覚めているような
リラックスと覚醒が程よく同居したような状態で
自分の身体の状態がとてもよく感じ取れるようだった。

こういう響きの良いとき
言い換えれば、
身体は覚醒していても
意識がまったりと、受容の状態にあるような時だは
先生の仰ることを自分の感覚の言語と
繋ぎ合わせていく過程がとてもスムーズになる。
面白いもので、先生がある部位を「使う」と表現されることが
私の中では違う部位を「解放」することで
よりスムーズに体現されていくような事が結構あり
それが体現されて初めて
先生が「使う」と仰っていらしたことの意味というか、感覚を
違う角度や、言葉や、文節で捉えなおして
身体がそれを理解することがある。

来年の舞台の日程も決まり
また、次の機会に向けて少しずつ色々な事が動き始めている。

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September 26, 2009

Ballet:Lesson Notes #90

【CoolBallet】

秋の爽やかな肌触りの空気の中
降り注ぐ陽光が夏のトーンの名残を感じさせる昼下がり。
こうしてレッスンに伺い始めてから
早いものでもう3巡りめの9月が過ぎ去ろうとしている。

リラクゼーションから続く時間の中で
ゆっくりとした、様々な動きが生じてきたが
それをモニターしている意識が
いつもより更に引っ込んだところに存在しているような感覚だった。
いろいろと身体のあちこちを伸ばし、あるいは解放するような動きを経て
立ち上がって右のアームスがポール・ド・ブラをするように動き始めた瞬間に
何か、自分の深いところでキュンとするような
小さな、でも固い結び目がふっと解けたような
安堵感とも解放感ともつかないような
静かな漣がそこから全身へと広がっていくような感覚を覚えた。

リラクゼーションの時間が終わって
いつもの自分の意識に着地していくまでの時間が
いつもよりとてもゆっくりと過ぎていく。
意識の光が溢れている場所まで
長い緩やかなスロープを登っているような。

バーレッスンが始まろうとして、ふとバーに触れ
その感触が意識を完全に目覚めさせたのか
その段階になって初めて、
何だか目の周りの感じと頬の感触に「あれっ?」と思い
「もしかして、私泣いてました?^^;」と
長谷川先生に尋ねると、やはりどうもそうだったらしい(笑)
頬に残る感触からいくと
多分、ほんの一筋ふた筋ほどの涙が
伝ったような感じかなと思うが
何かしらの感情の発露といったようなものとも違う
全くの静寂の中で、私の奥深いところで
ふっと緩み開いた何かから広がるバイブレーションが
涙腺を緩めたのかなという印象だった。

その後、バーレッスンをして、インプロを踊って
ある程度の時間が経ってからも
自分でも理由のわからない
「ほどけた感じ」の余韻が
静かに、でも途絶えることなく響き続けていて
根拠がある訳ではないのだけれど
身体の響きとして
それは私の心身にポジティブな作用を
広げていってくれるだろうという実感がある。

フランキンセンスからサンダルウッドを経て
薔薇の香りのお香へと移ろうのを
その意識状態の中でも感じていたが
この日の薔薇の香りは
先日のものとまた違う、包容力のようなものを感じ
レッスンが終わってから長谷川先生とお話する中で
「とても包容力のある香りですね。
母なる薔薇とでもいうのかしら
薔薇が聖母の象徴であることを感じさせるような。」
と呟いたら
「YAKOさん!このお香『マザーローズ』っていうんですよ!」
と、長谷川先生も驚かれたが
言った私も驚いた。
というのも、今回の香りのイメージと名前の一致だけでなく
今月最初のレッスンあった日の夜に薔薇の夢をみていて
その印象を、個人的にメモに綴ったことをフッとその瞬間に思い出し
その内容と、この日の体験が
見事にシンクロしていることに気付いたから。
日ごろ、たくさん文章を綴るので
自分で綴っておきながら
忘却の彼方になってしまうこともあり
この拙文もメモ程度に控えたものだったので
書いたことすら忘れかけていたのだが。
不思議なこともあるもの…と思う一方で
最近、こういうことが頻繁にあるので
それもどこか自然なことのようにも思える。

母なる薔薇の抱擁の中で

くゆる煙の甘美な香りに包まれながら
夢のささやきをきく
ゆったりと回りながら
次々と花びらを開きつつ
その色合いを錦に変える薔薇の姿は
多田智満子の薔薇宇宙を
パステルの彩りにしたようだ
母なる薔薇の抱擁の中で
何故か私は泣いていたが
安堵する子どものように
それは穏やかな涙だった
やがて、涙の粒が光の雫となって
花びらに輝きを添えながら
薔薇はずっと回り続けていた

2009年9月5日のメモから

この週末はイングリッシュ・アイズが窓辺を彩ってくれている。

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September 05, 2009

Ballet:Lesson Notes #84

【CoolBallet】

今週は週の始めから強く印象に残る夢を
いくつも見たりしていたせいか
身体はそれほど疲れてもいないのに
どこか神経に休養が必要なように感じていた。

不思議なもので、そういう時は
リラグゼーションから生じる動きも
スローモーションのようにゆったりとした
余り、大きくない動きで
フランキンセンスからサンダルウッド、そして
フローラル系の甘美な香りと
次第に変わるお香の響きと合わせて
くゆる煙と戯れるかのような
アームスを主体とした動きが生じてくるのが印象的だった。

そんな、穏やかな時間が
自分の深いところに滋養を与えたかのように
どこか芯のところから
解き放たれ、満たされたような心地よい余韻に包まれて
レッスンが終わった。


【レッスン】
続いて、クラスレッスン。
今日は4人だけのこじんまりしたレッスン。
リンバリングの最中に先生からお直しを頂く。
ア・ラ・スゴンドに脚を上げた時の状態の
右で立った時と、左で立った時の違いを
改めて確認させて頂いた様な感じで
右で立った時は、左で立った時のように
素直に繋がっていき難いのは
やはり、右側の制限に起因しているかなという印象を受けた。
左側の股関節に若干不具合の気配が生じ始めているのも
右の制限を、補おうとする使い方を
ダンスの時に限らず、日常の様々なシーンで
行ってしまっていることの蓄積の表れかなとも感じている。

ただ、その制限に意識の焦点を絞りすぎてしまうと
かえって、全体の調和は乱れるようだし
物理的な解放と合わせて
調和の感じ方そのものとでもいうのか
自分や世界の眺めそのもの
意識の眼差しの基点を少し変えてみる試みも
面白いかもしれないなと感じた。


【読書】
今、読んでいるのは
バイブレーショナル・メディスン―いのちを癒す「エネルギー医学」の全体像
バイブレーショナル・メディスン―いのちを癒す「エネルギー医学」の全体像

ホメオパシーやアロマ、気功と
日ごろ、その恩恵に預かっている
微細なエネルギーについて
少し引いたところから眺めなおしてみたかったから。

目に見えないもの、科学で証明出来ないもの
それでも確かに存在すると感じられるものが
やはりあると、私は感じる。
もちろん、胡散臭いもの(笑)も多々ありの世界かもしれないし
何でもかんでも「あり」だと思っている訳ではないが
少なくとも、体験を通じて身体の響きとして感じられるものは
自分にとっては真実であるように思う。

【ボディワーク】
ちょっと必要があって
久しぶりに、小川先生のシン・インテグレーションのセッションの記録を
3年分ほどまとめて読み返した。
セッションの記憶が、鮮やかに蘇ってくる。
その追体験から、
私はその体験を十分に活かしているだろうかと
省みる想いと共に
時折、こうして追体験をしていくこともまた
蒔かれた種に水や肥料を与え
今の土壌で開く花を育むきっかけになるのかもしれないと思った。

その体験の延長に広がる世界や感覚を
今、私はどう感じているだろうか。
もし、その当時の意識を例えて「随筆」と表すなら
それは時と体験の積み重ねを経て
少ない言葉で、広がりも含めた世界を
「詩」のようなものとして捉えているような気がする。

Ca3c0278
エレーヌ・ジュグラリス

窓辺の薔薇たちはたくさんの蕾をつけて
秋の彩の準備を始めている。

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August 28, 2009

Ballet:Lesson Notes #82

【CoolBallet】
夏が名残を惜しむかのように
振り撒いた光に透ける木の葉の緑が鮮やかに輝く径を抜けて
いつもより早い時間帯のレッスンに伺った。

Ca3c0270

最初に少しお話する中で
私が一昨日の晩にみた夢と
シンクロするような嬉しい出来事があったと伺って
驚くというよりは
むしろ、何故その夢を見たのかが
腑に落ちるような気持ちに自然となった事の方が不思議な気がした。

最初のフロアでのリラクゼーションの時間から
何かとても強く、グラウディングするような感覚を覚える。
僅か数秒とかからないうちに
仰向けになっている背面側がフロアに溶け込んで
自分と周りとの境界線が消えていくような感覚。
気の波を受けて、細胞がざわめくような感覚は
特に、何かしら小さな不具合や疲労が溜まっているような部位には
ただ、ざわめくだけでなく
春の陽光のような温もり感が伴って感じられる。
次第に生じてくる動きは
やはり全身を捻るような動きが多かったように思うが
それは自分が意思を持って動かそうとする時とはちょっと違って
まるで脊柱が先行して動きが生じ始めるような感覚で
ちょっと鰻の蒲焼の串をクリクリまわして抜こうとするときのことを
意識のどこかでふと連想してしまった(笑)

バーレッスンは今日は片手バー
リラグゼーションが効いてか
アライメントもだいぶ整っているのが感じられる。
プリエやタンジュやフォンデュ
そしてプティ・バットマンやパッセ…etc.と
かなりいろいろだったけれど
ひとつひとつの基本の動きを丁寧に繰り返す中で
いい感じでチューニングされていく実感があった。

窓の外に広がるパノラマを眺めながら
感覚を味わい、動いている中で
視覚について、ふと、ある印象が浮かぶ。
「見る」という、何かにフォーカスしたようなあり方で
空間や世界を眺めている時…
うまく表現できないけれど
視覚という点で、「私」が眼という器官に存在するような時
それは自分と切り離された「外界」だけれど
眼という器官を通じて結ばれた像を
もっと身体の奥深くで映しとったものとして感じるとき
それは切り離されたものではなく
ひとつの全体として
安堵感を伴って捉えられるような気がして
その中では、小賢しく自分の身体をどう並べようなどと意識しなくても
おのずとあるべき状態に導かれてもいくようだ。

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August 08, 2009

Jeanne D'Arc

激しい雨に洗われた晩を通り越して
穏やかな朝の光が降り注ぐ朝
お誕生日に頂いたジャンヌダルクが
優しく微笑むように花開いた。
この豊穣の色の祝福が
今日と明日の2つの舞台で
それぞれに舞う知人、友人に
届きますようにと祈った。

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【CoolBallet】
前回、ちょっと体調を崩して
お休みを戴いてしまったので
久しぶりのCoolBalletのレッスン。
かれこれ3年近い月日の中で
大切に紡いできたものは
踊りと共に生きるということの至福を
より広げ、深めるという形で
私の中に失われない豊かさのようなものを
織り上げてくれていると思う。

それが、どんな価値観であれ、理想であれ、経験であれ
あるいは自身への眼差しや、評価であれ
不動のものからは
心や身体的空間の広がりは得ることができず
その中心は固定化された柱のようなものではなく
絶えず動き続ける流れの中で
おのずと生じてくるしなやかな力強さであるのだと
ここでバレエを通じて自分と向き合うたびに感じる。

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July 06, 2009

Ballet:Lesson Notes #73

【CoolBallet】
先週末はたまたまイレギュラーにレッスンを入れて頂いていたのだが
それが必要になることを
まるでどこかで予期していたのかと思うような出来事がその前日にあって
レッスンを入れておいて頂いて良かった^^;…と、心底思った。

通りが良くなって、心身が開いていくという中で
いろいろな意味で感受性のようなものが高まるということは
良い面も多々あるが
うっかりすると、受けなくてもいいものも
無防備に受けてしまうことがあることや
広がった分の感受性に
自分の中の本来の秩序が翻弄されないように
バランスをとりつつ、足並みを揃えて進んでいくことの大切さを
学んだ体験でもあった。

【レッスン】
いつものクラスのレッスンが終わった後
先生と少しお話をした。
レッスンの間に、先生からいろいろアドバイスや指摘を頂く時
言われていることがどういうことで
何を求められているかが判っていても
そこにスムーズに繋がる感覚を見出せずに
戸惑ってしまうこともあったりしたのだが
ある時から、向けられた言葉を鏡に映すように…
つまり裏側から捉えて
例えば鳩尾の辺りを指摘されたら
その裏側、背中側をちょっと糸で引かれる様なイメージを持ったり
骨盤の片方の上がりを指摘されたら
それを下げようとするのではなく
反対側を上げるというか
そちら側の骨盤内のスペースをちょっと広げるようなイメージを持つとか
逆の方向から捉えてみると
求められる状態に自分の身体を導くプロセスのようなものが
自分の中で繋がりやすいということに気付いて
最近は時折、そうして自分の中で翻訳作業をしているかもしれない(笑)
というお話をした。

なるほどという感じで、先生も頷いていらしたが
もちろん、言葉をそのまま受け止めて
ストンとそこに入っていける人もいるだろうし
結果として、身体の状態は
同じ方向に軌道修正されるのだが
私はたまたま、裏から捉えたほうが
自分の回路に馴染むということで
その翻訳を通して、感覚の言語の共有化を
少し広げるコツみたいなものを見つけたということなのかもしれない。

先生、曰く
私は「言葉にものすごく反応する」らしいから
あるところに意識が向きすぎると
その部分に囚われやすくもあるのかもしれないし
言われたことに直球で意識を向けるのではなく
それを正すことで導かれる状態というのを
先に全体像で思い描いてから
なおかつ、その裏側からアプローチしていくというプロセスを経ることで
部分に囚われて、全体の繋がりを失うことを避けながら
言われていることを、よりスムーズに身体に響かせる術を
やっと見つけたということか(笑)
いずれにしても、
余り戸惑ったり、混乱するということが無くなって来たのは確かだ。

そういえば、先生が面白い表現をなさっていたが
最近、私の中でお線香の煙がスーッと立ち昇るように
細く、流れるものが見えるようなことがあると。
そして、それがもっと力強い流れになったら
きっと動きも含め、いろいろなことが楽になるんじゃないかなと
仰っていらしたり
存在そのものの印象が変わってきたと仰ってもいた。
それは、私自身が実際に感じている
繋がっている時のエネルギーの流れの感じや
そういうときのある種の静寂感みたいなものに
とてもしっくりくる表現でもあって
今の自分の内的な感覚は、
外から見た時はそういう風に映るんだ…と思うと
面白いものだなと思った。

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